耳なしホウイチ

橋本治「ああでもなくこうでもなく 第23回」より 抜粋
月間広告批評 223号「特集 21世紀の幸福論」1999年1月、マドラ出版

……私の胸の中には、成就しなかった恋の思い出がある。でも、それは私の胸の中で永遠の恋になって、今もまだ生きている」という、恋に出会えなかった女の胸の中の心理を絵にすれば、『タイタニック』のラストシーンになる。「こりゃたまんないだろうな」と、私は思うのであります。日本でこういうラストを作っても、『耳なし芳一』になるだけのような気がするが――壇ノ浦で滅亡した平家の一門が、在りし日のごとく居並んで芳一の琵琶を聴くという。平家物語書いている間に『タイタニック』なんか見てるから、そんなこと考えるんだろうか?そんなこともないと思うが。……


……ローズに扮するケイト・ウィンスレットは、とても上流階級の女には見えない。胸板が厚くて腕が太すぎる。がしかし、そこはジェイムズ・キャメロンの映画だから、このヒロインは”戦うヒロイン”である。マサカリ振り回してレオナルド・ディカプリオを助けて、激流をかいくぐり、さらにはジャンプして海の中に飛び込むんだから、腕が太くて胸板が厚くなきゃだめだ。「一九○七年の当時、体育なんかやって逞しい胸と太い腕を持てたのは上流階級の女だけだ」と言って言えないこともない(ちょっと苦しいが)。しかし、この母親が「家で誇れるのは家系だけ」と言ってる、没落寸前の生粋上流階級女のわりには、せこい―それであるがゆえに、このケイト・ウィンスレットは「中流の上」にしか見えないのである。
 ヒロイン=ローズの母親がなぜせこいのかと言うと、娘に接近する下層階級のレオナルド・ディカプリオを、あまりにもあからさまに「いかがわしげな目」で見るからだ。生粋の上流階級の女だったら、そういうものは「いてもいないもの」として黙殺するはずなんだけど、この「家名だけで金に困ってる生粋の上流階級夫人」は、そうじゃない。ほんとの上流階級人間には、「汚い」は分かっても、「落ちる」とか「下」というものが分からない。…だから、それを「いかがわしいもの」として斥けたがるローズの母親は、下層階級との距離が近すぎる―つまり、ミエっ張りで上辺をつくろう「中流の上」にしか見えないということである。……

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映画『タイタニック』は『耳なしホウイチ』説。

シェイクスピアは日本でいうなら近松門左衛門にたとえられるよね、などと友人に話したところ、
近松門左衛門に失礼や」なんてつーんと返されたことがありましたっけ。

ハシモトせんせいはこの批評において映画の興業的成功を褒めていらっしゃるのです。
なにせ掲載雑誌は「広告批評」、成功の分析は大切なのです。
けれども、ご本人も書いておられましたが、およそ一般的には「こんなこと書いたら嫌われる」のでしょうなあ。
ブンガク研究であればオーソドクスな批評のように思われるのですけどもなあ。

マサカリかついだ自己愛完結型ヒロインというのも、いかにもアメリカ映画でいいですねえ。
カニックな作りこみはさすがなもので、「蒸気タービンが!」などと工学系には嬉しい見ごたえがあるのですねえ。
……どんな映画も褒めていらした淀川長治さんはすごいとおもいます。