2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

寒天人間

眠って過ごしております。 彼岸もすぎて冷えております。 独特の物質感です。 表面ひりひり、手足がごろり。寒天みたいです。「痺れている」と言うのでしょうかねえ。 あんみつに入っている角切寒天であって、シャーレの培地ではないつもりですが、メディウ…

イントロダクション。読みかじりメモ

イントロダクション。intro-duction. 翻訳書の「解説」「序文」、読みかじった言葉のメモ。アルフォンソ・リンギス 『汝の敵を愛せ』(発行元:洛北出版/発売元:松籟社、2004年7月)より、 田崎英明氏の解説。出版社のサイトに転載されています。 田崎さん…

ほも・ろくえんす その1

六車進子『自然と歴史 −文化社会学論集−』1989、関学生協出版会 「ホモ・ロクエンス ―比較文化的考察― 」より…人間の創造的行為のひとつは、艱難辛苦の果て、渾身をかたむけて、ようやくひとつのことばを発すること、そのことの中にも、いや、そのことの中に…

タロウと忘却と

花田清輝「咽元過ぎれば熱さを忘れる」(『いろはにほへと』)より 『花田清輝全集 第十巻』講談社、1978←初出:『毎日グラフ』1961年11月5日号…太宰治は『お伽草子』のなかで「年月は、人間の救いである。忘却は、人間の救いである」といって、太郎は、玉手…

旅人のように

…I regained my sight at age of fifteen. I never took the trouble to learn the causes of the sudden loss and return of sight. Martha said jokingly that it was a miracle the Hoffers managed to stay alive. None of them lived past fifty. "Neve…

てつがくをゼーエンするのだ

蔵内数太「耳に残っている三木氏」より (三木清全集 第18巻・月報、1968年3月、岩波書店) …三木氏は西田博士の門下であるが、その博士の講演を私は三木氏のお蔭で一回だけ聞くことができた。同時にこれは博士の風姿に接した唯一の機会でもあった。それは…

いま生きている

「いま、生きているのよ」 そのとき、言われた言葉だった。昨日できていたことが、今日できない。 今日できていることが、明日できなくなっているかもしれない。 でも、いま生きている。いま、生きている。 この言葉の向こう、この手のひらの先に、患者と医…

みるみる

見ようとしていると、見ようとしているものしか見えない。 見ようとすると、見たいものしか見えないのじゃないのか。 発見的であろうとすると、何も発見できないのじゃないか。物としての人間、潜勢力の話もあるけれど。学部時代、先輩に「ものの見方に興味…

体験と経験と

マーティン・ジェイ『暴力の屈折』 谷徹・谷優訳 岩波書店、2004年 第一章 慰めはいらない ―ベンヤミンと弔いの拒否 より…かくして、彼の空想は、ヘーゲル的な想起=内在化(Erinnerung)とは異なった記憶の概念に依拠している。ヘーゲル的な想起においては、…