ケアの時間

浜渦辰二「ビジネス・倫理・ケア」西日本哲学会編『西日本哲学年報』第17号、2009年10月5日(93-110頁)より抜粋
*「はまうず・ホームページ」(http://www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/gyouseki/gyou-ha2.html)PDFにて全文公開


…しかし、残念ながら、鷲田の議論は、「待つことの放棄が〈待つ〉ことの最後のかたちである」、「予期ではない待つとしての〈待つ〉」、「待たずに待つこと」、「持っていると意識することなくじっと待つこと」、「〈待つ〉以前の〈待つ〉」「待つともなく待つ」といった、さまざまな〈待つ〉ことをめぐる考察を解釈することに専念していて、〈ケアの時間〉を解明する方向には向かわない。また、私見によれば、鷲田は待つ側の姿勢・意識に専念しており、待つことが、私と他者との「間」で行われる間主観的な行為であることには余り焦点が当てられていない。待つことは、私と他者が言わば歩調を合わせることであって、一方的な行為や姿勢の問題ではないはずで、「待つこと」は、「待たれること」や「待たせること」とセットになって行われる行為であるはずなのだが、そのような点にも触れられてはいない。〈ケアの時間〉は、そのような間主観的な行為のなかで考えられねばならないだろう。

…(中略)…

…こうして見ると、〈ビジネスの時間〉と〈ケアの時間〉とは、同じ次元での時間をどう配分するかという問題ではなく、むしろ時間の異なる次元のあいだで私たちがどう生きているかという問題であると言わねばならない。「聴く」や「待つ」において相手に「時間をあげる」というのは、あくまでも「日常生活の時間」を支配している〈ビジネスの時間〉から見られた限りの物言いであって、同じことが相手と「時間をともに過ごす」ことと言われる時、それは〈ビジネスの時間〉と〈ケアの時間〉がぶつかるとともに結び合う場面を現し、そして、それは〈ケアの時間〉が本来流れている次元である「深層の時間」への通路となる。…(中略)…異なる次元に属する〈ビジネスの時間〉と〈ケアの時間〉とが、一方が他方を還元することのできないような、人間の全体性を表しているのであった。まさに、「正義の倫理」と「ケアの倫理」で見たように、両者が統合されることによって、人間の人間としての成熟が達成されると言うべきだろう。……

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それだけ私の時間をあなたにあげたのだから、といえばそれはビジネスの時間。
それだけの時間を私はあなたとともに過ごして生きたのだから、といえばケアの時間。

先日のぞかせてもらった研究会で、まなざしの澄んだある先生にずんずん接近していきました。
話下手に緊張もあいまってわたわたと話しはじめ、そのままあれこれと話し続けたのですが、
いつのまにか何を話そうどう答えようといった意図がなくなり、手ばなしになっていました。
立ちかたも姿勢も変化して、胸がひらいて楽に立っている。肩が凝っていたことに気づく。身ひとつ、そこにある。

ご専攻はと尋ねられて、唐突なアプローチをとったまま自己紹介もないままだと気づきましたが、ひと言で了解されたのがわかる。
講演のなかでは主観的、客観的、間主観的の3つの視点…などとさらりと簡潔に話していらしたけれども、
<私>が成立する以前の経験を、すっと先生は見ていらして、そして私もすっと見るのか、と思う。
ちか、ちか、ちかと小さな火花が散るように、その瞬間その瞬間に消えては生起する<私>が見えてはまた消える。
「何処に於いて立つか」というならば、その身ひとつ。

陽光を浴びるわたしの身体があなたに影を落とし、わたしに吹きつける風はあなたに触れる風となり、
あなたのあたたかな体温にわたしの呼吸はふわりやわらぎ、あなたの痛みのやどる呼吸にわたしの身はひやりこわばり、
わたしの身のこわばりにあなたの身はかたくなっている。その身ひとつ。

自分が相手に見せるぶんしか、相手は自分に見せないのではないか…などといつかNさんが話していらした言葉をおもうのですが(私の創作かもしれません、Nさんごろく)。
「見られることなく見ることは非−倫理的」とはメルロポンティの言葉でしたかな。

寄り添うことは、寄り添われること、寄り添わせること。
寄り添われることは、寄り添うこと、寄り添わせさせること。
そうしてエビぞりの時間を生きて背中を痛めることだってありますね。