はるはザムザで

ひさしぶりに通院しました。

いま咲きほころびつつある桜もまだ固く沈黙していたころ、まだ梅の花の季節でしたが。

いまも収束しないコロナ禍ですが突然浦島太郎を地で行くことになって先生のお顔を見てひとしきり話を聞いていただいて一息つきました。

この歳でこうなのだからもうこのままかとよれよれと言っていたら今だと90歳ぐらいはとほわりと言われてあああと視野の狭さを知らされました。

そういえば80歳でも海馬は増えるとむかしお世話になった先生に励まされたことがありましたっけ。

診察室から患者さんとご家族の方が息をつかれて穏やかな顔つきで出て来られたのをお見かけしてわたしも同じかと思いました。いつものように電話診療のつもりでおられた先生に不意打ちで時間を取ってしまったのですが、通院で必要なものをいただいたように思います。

 

いまの暮らしがあるのは先生のおかげだと主治医の先生に感謝したのですが、難民のわたしの手を取って隣に座らせて食べさせ眠らせて息をする場所をくれたひとたちを想います。

とりわけ「いろいろあったけど、こうしてひろがっていくつながりもあるのだし。せっかくここまで頑張ってきたのだから、勉強していこう」と潤んだ目でことばをくれて、わたしのために橋を架けてくれたしなやかな手の持ち主のことを。

なかなかお礼が言えません。

 

ケアの倫理が昨今いわれているようですが。

贈与と交換と分有-分配が倫理の三本柱というのであれば、贈与は相手に負債の感覚を負わせる、贈与は所有の確認ではないのか…という議論がありました。

以前通っていたゼミでパッショネイトな福祉の教育者の方が「してあげる」と「かわいそう」を絶対言うなと学生に教えているとパッションをもっておっしゃったことばがいつも忘れられません。

贈与には返礼義務がともなうために、おたがいさまだの助け合いだのと言われたら、わたしには返せるものが何もない、と思ったこともありましたっけ。

 

そのひとたちにもだれにもわたしは返礼義務など求められてはいないのです。たぶん、もらいっぱなしでいいのでしょう。師匠が「切るものがないのでキリストではないけれども」と手でちぎりわけてくれたパンのように。

目の前の苦しむひとに自分ができることをする、それはあたりまえのことだからとそのひとたちは言うのでしょう。それをしなければ自分がやるせない、そういうものなのだと手前勝手におもうのですが、どうしても今のわたしがわたしの生活がそのひとたちに負うところが大きくて、うまくお礼が言えないといつも思うのです。

 

足を向けて寝られないねと家人が言うとおりだと思いながら足を向けてもよい方向を考えたのですがこれがむずかしい。

ひっくりかえったカフカのザムザのように天井に足を向けて寝るならどうかと思いついたところです。