2012-01-01から1年間の記事一覧

樹を見つめず、樹を抱いて

曇りぞらも凍てつく冬の日に研究会のおしまいへお邪魔してご馳走になった林檎はしゃっきりあまく私を透らせてゆきました。 ご馳走してくださった方の静かな的確な注意に胃袋から支えられ寒空のもと幸福でした。 焼林檎はベルリンの幼年時代の香りなどとは思…

真珠と珊瑚

Full fathom five thy father lies; 海底ふかく父眠る Of his bones are coral made; 骨は珊瑚に Those are pearls that were his eyes: 両目は真珠に Nothing of him that doth fade その身はなにも失わず But doth suffer a sea-change 海のちからに変えら…

耳なしホウイチ

橋本治「ああでもなくこうでもなく 第23回」より 抜粋 月間広告批評 223号「特集 21世紀の幸福論」1999年1月、マドラ出版……私の胸の中には、成就しなかった恋の思い出がある。でも、それは私の胸の中で永遠の恋になって、今もまだ生きている」という、恋に出…

言葉はベンガルトラにのって

今年も師走になりました。寒波が厳しゅうございます。 背骨がみしみし軋みっぱなしですが、何処かしらで誰かしらに何かしら養ってもらえるおかげで、どうにもくたばりきれません。寒気にぞくりふるえ目覚めては痺れや攣れを知覚してまた浅くねむる、そんな睡…

イマジナティヴ・アクティヴィズム

まだ世界が銀杏色だった先日、アクティヴィストの話を聞きました。誰にインスパイアされてなんてのはない、わたしが自分でやってきておかしてきた失敗から学んだことを話しているのであって。 やってることはムーヴ・オン、これなのだと。落ち着きのよい会場…

バクのように

お知らせいただき足を運んだ研究会は、母校での開催でした。 友人教員に恵まれてバクのように暮らした環境のおかげか、いまだに土地勘がありませぬ。 駅に降り立ったときの町の匂い、かつて通っていた路の風景に、感覚ざわざわ記憶ぎりぎり、筋肉もぎりぎり…

だるまおとし

見事な秋になっていました。夜はこっくり暗く、雨に濡れる銀杏はあざやかに美しかったのです。 「言語など存在しないのだ」というデイヴィッドソンの言葉がいつも巡っているのだと、むかしあるひとに告げられたことばが耳底によみがえります。いつだったか立…

風立ちぬ

風吹かばひりひりひやりのアロデニア。風がなくとも消耗します。 いつだったかの診察で「ひりひりがなければ」とほんわりおっしゃった先生の言葉は いつもあっさり的確なのでした。むーん。範囲がひろがってきたのはいやですねー。獄中死された三木さんは栄…

マークされます

中井久夫「概説」『岩波講座 精神の科学8 治療と文化』岩波書店、1983年、70頁より抜粋「八 治療文化論」…病者と非病者は、対をなすものではない。病者が「有徴者」(印がついたものthe marked)であるのに対して、非病者は無徴者であるから、「非病者」と…

ときとき

冷たくなりました。すっかり秋。 まだ日中は夏の陽気だったころ、夜に運ばれた金木犀の香りに不意討ちをうけました。花の香りはひやりと鼻先をかすめただけであるのに経験への予測が先走りして 花の甘さが鼻腔から舌に落ちて喉をとろりと満たす錯覚を覚えた…

図像のちから

宗田一・池田光穂『医療と神々』平凡社・自然叢書10、平凡社、1989年、10-11頁より抜粋 序論 治癒神とは何か 治癒神を問うことの意味 近年になって人々は〈健康〉に対して、ますます関心を持つようになってきた。社会には健康についての議論が氾濫している。…

あったのです

中上健次「紀州弁」『鳥のように獣のように』講談社文芸文庫、1994年(←底本:講談社、1981年)より抜粋…紀州弁、新宮弁の特徴に、いまひとつ、「いる」という助詞がないことをあげる。 「なんな、そこに、あったんか」それを、標準語にすると、 「なんだ、…

ちりちり

ちりちり指に手のひらに感覚が出てきた。血流がもどってきたのかな。 ぴりぴり痛みがひろがっていく。指をひろげてみる。手のひらをのばしてみる。 じーっと痺れが強くなる。じんわり手をにぎってみる。ゆるめてみる。びりびりずきずき疼きだす。 喉がひらい…

あるのであるでなければならぬそうですわ

「思想」岩波書店、1995.11. No.857 思想の言葉 坂部恵「西田哲学の文体をめぐって」より抜粋……すくなくともある時期以後の西田幾多郎の文体の特色の一つに、右の引用に典型的に見られるような、「あるのである」の多用がある。…… 「あるのである」は、リダ…

凝固せよ

COAGULA Paul CelanAuch deine Wunde, Rosa. Und das Hörnerlicht deiner rumänischen Büffel an Sternes Statt überm Sandbett, im redenden, rot- aschengewaltigen Kolben. - お前の傷も、ローザよ。 打ちすえられた牛に涙する獄中のローザ・ルクセンブル…

忘れちまった悲しみに

"Forgotten wounds can't be healed, so I film to heal."「5台のカメラが壊された〜パレスチナ〜」(5 broken cameras)というドキュメンタリ、パレスチナ人のイマードさんの言葉。「忘れてしまった記憶の傷は癒すことはできない」というふうに、私には聞こ…

ばびろんまでは

マザーグーズより(うろおぼえ)How many miles to Babylon? バビロンまではどのぐらい? Three score miles and ten. 60マイルと10マイル Can I get there by candle-light? ろうそくともして行けるかな? Yes, and back again. 行って帰って来られるさ…

回廊をめぐって

回廊をまわっていると、何処にいるのかわからなくなる。 どこも明るいから、混乱してしまう。 回廊があって吹き抜けが高くて明るくて、中庭が見えて、他所から来るといいように見える。 そんなところは、そこからは何処へも出られないところ。 隠れられる場…

のびてます

ふわふわくらくら貧血めまいで奴隷船で運搬されているような五月は過ぎました。 頭痛がおもく気を遠くしながら、頭痛もちの辛さはわからないもんだ、と思いましたさ。 腰を痛めたときは、腰痛もちの苦しさはわからないもんだ、と思ったこともありましたっけ…

花と風と黄砂と、そしてあんぱんについて

「桐の花の季節だ」そう言われてふりかえりあおぎみた桐の木は、ゆらりやわらかに花をつけ葉をひろげていました。 地に落とされた花の萎れのうつくしさ。私は知らなかったのです。まだ日の残る帰路、黄砂まじりの風に吹かれながら知人友人まだ知らぬ人と連れ…

ジーンさん

森枝卓士『味覚の探求 美味しいってなんだろう』中公文庫、1999年より抜粋(171頁-173頁)ユージン・スミスという写真家がいた。…そのジーンさん(と、私たちは呼んでいた)は、私が高校に入ったばかりの頃、水俣にやってきて、住み着いた。当時、星の写真を…

めちえ

中井久夫「治療文化と精神科医」『つながりの精神病理』ちくま学芸文庫、2011年 253頁より抜粋…私に依頼された課題は「魔女・呪者・精神科医」とでも題するようなものであったが、しょせん私は私の音しかだせない。たまたま最近さる文化人類学者と会って話が…

大きくなったら

大きくなったら何になる? 大きくなったら何になりたい? 大きくなったら おじいさんになるんだよ そんなのあたりまえじゃないか 子どもが答えてそう言ったのだとその母が おもしろそうに教えてくれた 大きくなったら何になる? 大きくなったら おじいさんに…

イワシのあたま、ナスのへた

金森修『フランス科学認識論の系譜 カンギレム,ダゴニェ,フーコー』勁草書房、1994年 第八章「粘稠なる浮動性――薬の認識論」より抜粋(212頁および213頁) (初出:『イマーゴ』1993年1月号)…事実、プラシーボはイワシの頭でもナスのヘタでもなんでもかま…

タオルいちまい

「痺れている」、これでしか訴える語彙がないということをわかってほしい。 いつだったかの哲学カフェで、エンジニアのおじさまが教えてくださった言葉のうちのひとつ。 神経難病といわれる疾患の患者さんに「スイッチ」の開発をされている、ご自身も患者さ…

眼はダンス

リオタール『言説・形象(ディスクール、フィギュール)』 合田正人監修・三浦直希訳 叢書ウニベルシタス960、法政大学出版会、2011より抜粋(11頁-12頁)眼、それは力である。無意識をひとつの言説とすること、それはエネルギー論を省くことである。それは…

かふかふかふか

三五 所有というものはない。あるのは存在だけだ、最後の息を、いや、窒息を求めている存在だけだ。三六 以前わたしは、なぜわたしが自分の質問に返答を得られないのかが、わからなかった。今日はわたしは、どうして自分が質問できるなどと信じられたのか、…

ろんりとりんりのれとりっく

三木清「解釈学と修辞学」(『三木清全集 第五巻』岩波書店、1967)より抜粋 (収録:波多野精一先生献呈論文集『哲学及び宗教と其歴史』昭和十三年九月、岩波書店)※原文より新字表記へ変更。ギリシア文字を表記せず、仮名読みへ変更……現代に於ける解釈学の…

行為のてつがく、我と汝のポイエシス

三木清「哲学的人間学」(『三木清全集 第十八巻』岩波書店、1968年)より抜粋 ※原文から新字体へ変更、傍点等の表記を変更 …現実の行為は意識を越え、内的世界から抜け出る。行為がそれによって内的世界から抜け出るものは身体であり、身体性の原理を無視し…

ざむざむざむざ

目が覚めると虫になっていた、というのはカフカのザムザ言説ですが ザムザといえば、なぜか唐揚げ、殻ごとパリパリに揚げられている姿を想像します。塩ふってめしあがれ。「あした目が覚めたら動けなくなっていたらどうしよう、ではないですよ」と、きまじめ…