2012-01-01から1年間の記事一覧

じゅんすいじぞく

空間に懸想して 時間なんてけちな私生児、とは九鬼さんの詩ですが、時は過ぎてしまいました。 冷たい雨はやわらかに降りつづき、花粉が顔にねたつきます。 春です。ひとは動きます。薄らぎゆく冬景色を通院ばかりで過ごしました。 通院はすこしばかり遠出、…

伝達するという行為だけが重要なのであって、伝達に先立つような知的理解、すなわち、ほんとうの知というものは皆無だから

映画『SHOAH』パンフレットより (製作:SHOAHパンフレット製作委員会、発行:SHOAH上映委員会、1995年)ランズマン監督は語る もっとも単純なかたちで問いを定式化して、次のように尋ねれば、おそらくそれで充分なのかもしれない。「何故、…

バウムクーヘンのように

更新おこたり、二月も過ぎていきます。 寝てばかりでいたようですが、何をしてきたのでしょうか。 あまり憶えておりません。師匠がわしわし食されていたお手製三層トリドンのめだまやきがおいしそうだったり、さいきんは老いを語るのに「年輪」と言わなくな…

手をつなぐことによって直接に、それと知れるのです

「六八 舞踏(ダンス)」 『アラン著作集 第三巻 情念について』(古賀照一訳、白水社、1960年)より抜粋「…舞踏(ダンス)の場合、視覚というものはまだ欺き易いものです。わたしの動きがさらに相手の心像を踊らせるからです。その上、わたしには相手がどん…

「わたしの精神の目をひらいてくれた注意」のいちれい

『アラン著作集 第八巻 わが思索のあと』(田島節夫訳、白水社、1960年)より…わたしの父は一種ディオゲネスのような男で、わたしをかれの二輪馬車にのせてつれて歩いたものだった。わたしはすぐに手綱がとれるようになったし、だんだん力がつくにつれて、か…

遊びをせんとて

花田清輝「「実践信仰」からの解放」(『花田清輝著作集Ⅳ』未来社、1964年)より抜粋 丸山真男の『日本の思想』(岩波講座『現代思想』第十一巻)のなかで述べられている「理論」と「実感」の問題をめぐって、高見順が、『社会科学者への提言』(『中央公論…