2012-04-01から1ヶ月間の記事一覧

イワシのあたま、ナスのへた

金森修『フランス科学認識論の系譜 カンギレム,ダゴニェ,フーコー』勁草書房、1994年 第八章「粘稠なる浮動性――薬の認識論」より抜粋(212頁および213頁) (初出:『イマーゴ』1993年1月号)…事実、プラシーボはイワシの頭でもナスのヘタでもなんでもかま…

タオルいちまい

「痺れている」、これでしか訴える語彙がないということをわかってほしい。 いつだったかの哲学カフェで、エンジニアのおじさまが教えてくださった言葉のうちのひとつ。 神経難病といわれる疾患の患者さんに「スイッチ」の開発をされている、ご自身も患者さ…

眼はダンス

リオタール『言説・形象(ディスクール、フィギュール)』 合田正人監修・三浦直希訳 叢書ウニベルシタス960、法政大学出版会、2011より抜粋(11頁-12頁)眼、それは力である。無意識をひとつの言説とすること、それはエネルギー論を省くことである。それは…

かふかふかふか

三五 所有というものはない。あるのは存在だけだ、最後の息を、いや、窒息を求めている存在だけだ。三六 以前わたしは、なぜわたしが自分の質問に返答を得られないのかが、わからなかった。今日はわたしは、どうして自分が質問できるなどと信じられたのか、…

ろんりとりんりのれとりっく

三木清「解釈学と修辞学」(『三木清全集 第五巻』岩波書店、1967)より抜粋 (収録:波多野精一先生献呈論文集『哲学及び宗教と其歴史』昭和十三年九月、岩波書店)※原文より新字表記へ変更。ギリシア文字を表記せず、仮名読みへ変更……現代に於ける解釈学の…

行為のてつがく、我と汝のポイエシス

三木清「哲学的人間学」(『三木清全集 第十八巻』岩波書店、1968年)より抜粋 ※原文から新字体へ変更、傍点等の表記を変更 …現実の行為は意識を越え、内的世界から抜け出る。行為がそれによって内的世界から抜け出るものは身体であり、身体性の原理を無視し…

ざむざむざむざ

目が覚めると虫になっていた、というのはカフカのザムザ言説ですが ザムザといえば、なぜか唐揚げ、殻ごとパリパリに揚げられている姿を想像します。塩ふってめしあがれ。「あした目が覚めたら動けなくなっていたらどうしよう、ではないですよ」と、きまじめ…