タオルいちまい

「痺れている」、これでしか訴える語彙がないということをわかってほしい。
いつだったかの哲学カフェで、エンジニアのおじさまが教えてくださった言葉のうちのひとつ。
神経難病といわれる疾患の患者さんに「スイッチ」の開発をされている、ご自身も患者さんであり支援者である技術屋さん。
支援についてコミュニケイションについてそのほかBMIの話まで要点を学生たちに教えるように話していってくださったのだけれど、じつに、的確、簡潔、実用的。実戦を経てきた言葉はとても興味ぶかく学びぶかく、食いいるように聞かせていただいた。

空気圧で感知するタイプの「スイッチ」を、触らせていただいた。
私の痺れのある指先で、そっとスイッチに触れてみた。鳴らなかった。強めてみる。鳴らない。あれ、と思う。病院で機械のタッチパネルを触っても反応がなく、指を強く押しつけてみたり触れ直してみたりするときの、もがく気持ち。突如、ビッ、と音が鳴った。驚いた。とっさにあたりを見渡すと、こちらの様子を窺うエンジニアがいた。私のほうへと注がれていた、エンジニアの注意深い視線。彼の手には装置。スイッチの感度を調整されたようだった。私の指先が、誰にも私じしんにも説明不能な痺れが、通じた。そう思った。

機能低下と機能不全のあいだの、とてもおおきな隔たり。
ベッドに横たえた腕にタオル一枚はさんだら、自力で手首をかえしてスイッチが押せる、という。
肘をすこし曲げた状態と、手を添えて肘を伸ばした状態とで、手首をかえしてみた。確かにそこに手を添えていると、とても楽に動かすことができた。
ああほんと、とても単純に物理的なことなのに、と言うと、「医療者はそれが面倒なのよ」と、どなたかがおっしゃった。
医療者は「できない、じゃあ、できない」なのだと。
タオルいちまいで変わるのに。

でも、タオル一枚。そこにタオル一枚はさめばいいなんて、どうしてわかるのだろう?
「どうしてわかるんでしょうか」と尋ねた。尋ねてみた。
「見ればわかります」と言われた。そばにいらしたベテランを究めた医療者の方が、そうだと頷かれた。
そう、見ればわかる。
言い切るように言われた言葉の、ちからづよさ。
私の背中に浸み込んで、私の筋肉となった響き。
そのとき「タオルいちまい」はさんでもらって、スイッチを押した記憶とともに。