手をつなぐことによって直接に、それと知れるのです

「六八 舞踏(ダンス)」
『アラン著作集 第三巻 情念について』(古賀照一訳、白水社、1960年)より抜粋

「…舞踏(ダンス)の場合、視覚というものはまだ欺き易いものです。わたしの動きがさらに相手の心像を踊らせるからです。その上、わたしには相手がどんな様子で踊っているのかがわかりません。それを知るには内的な接触によるばかりです。踊り手の群を手によってつなぎ合わせる伏目の舞踏(ダンス)は、合図の交換によって生まれることがわたしにはわかります。手をつなぐことによって直接に、筋肉を動かす用意のごくわずかな予告にいたるまで、相手にそれと知れるのです。ですから、共通の規則はかえって踊り手のひとりひとりをさらによく解放することになります。わたしはある日ブルターニュの市場で、そうした伏目の舞踏(ダンス)がぐるぐる廻りながらうねっているのを見たことがあります。踊り手たちの顔に浮かんだ好ましい晴朗さは、さながら装飾帯(フリーズ)の人物のように、かれらをみな一様に美しくし、似かよったものにしていました。舞踏(ダンス)のこうした奇跡的な効果は最古の彫刻というべきものです。なぜなら、人体がみずからを構成し、最初の作品となりうるのは秩序のなかにおいてだからです。人間という落ち着かない動物のなかにはじめてまじめなものが存在したのは、だから舞踏(ダンス)によってなのです……」

※原文よりルビ変更