伝達するという行為だけが重要なのであって、伝達に先立つような知的理解、すなわち、ほんとうの知というものは皆無だから

映画『SHOAH』パンフレットより
(製作:SHOAHパンフレット製作委員会、発行:SHOAH上映委員会、1995年)

ランズマン監督は語る
 
 もっとも単純なかたちで問いを定式化して、次のように尋ねれば、おそらくそれで充分なのかもしれない。「何故、ユダヤ人は殺されたのか」と。このように問うことによって、この問いのはらんでいる猥雑さが一挙に露呈することになる。理解するという計画には、まさしく絶対に猥雑なところがあるものだ。
 理解しないということこそ、私が『ショア』を練り上げそれを実現する年月〔十一年〕の間ずっと守ってきた情け容赦ない掟であった。私は、理解するということに対するこの拒否を支えにふんばってきた。それは、倫理的であると同時に実地に向いてもいる態度としては、およそ唯一可能なものであった。この高度な防御の構え、馬に遮眼帯を付けて余計なものを見させないようにこうして眼を一点に集中すること、こうして他のものには頑ななまでに眼をつむっていることこそ、私にとって創造の面で死活にかかわる条件であった。…

 …恐怖を正面から見据えるべく眼差しをそのように振り向けるには、注意を他に逸らせたり言い逃れをしたりすること、そのなかでも最初に来るもの、まちがって中心的とされているもの、すなわち、何故という問いを、そのような問いから際限もなく続々と出てくるアカデミックな些事とか下品な言葉もあわせて、まず放棄することが要請される。「ここには、何故はないのだ」(Hier ist kein Warum)。プリーモ・レヴィ…は、このアウシュヴィッツでの規則は彼が同収容所に着くなり、一人の親衛隊員から教えられたと語っている。「何故はない」というこの掟は、『ショア』のように伝達することを任務として引き受ける者にとっても価値がある。というのも、伝達するという行為だけが重要なのであって、伝達に先立つような知的理解、すなわち、ほんとうの知というものは皆無だからである。こうしたラディカルな立場が分裂することはない。つまり、何故はないけれども、何故を拒否するのは何故かということに対する答えもまたないのだ。そうでなければ、今しがた言っておいた例の猥雑さのなかにふたたび書き込まれてしまう羽目になるだろう。
(「ここには、何故はない」一九八八年秋第三八号の『新・精神分析雑誌』特集号「悪」より)


 私はスピルバーグを高く評価している。……今回の企画のことを聞いたとき、こう自分に言ったものだ。スピルバーグはジレンマに陥るだろう、シンドラーの物語を語れるとすれば、ホロコーストは何であったかも彼は言わなければならない。圧倒的多数のユダヤ人が救われなかった一方で、一二○○人のユダヤ人を救ったひとりのドイツ人の物語を語りながら、ホロコーストは何であったかを、彼はどのように言うべきなのか、と。たとえ強制収容所長がどのように抑留者を撃ち殺すのかを示すとしても、死に至る処置や根絶機構の常態を彼は正当に評価できない。いや、誰にとってもそうだったのだ。
 それに対して『ショア』は、誰も誰と出会わない映画である。それは私にとって倫理の問題であった。スピルバーグが真剣に取り組んでいることはまったく確信しているが、私は厳格でありたい。『ショア』の場合、ドキュメントを使ったところは一秒もない。私の仕事のスタイルや私の考え方はそうではないからである。しかし、史料が存在しないという理由もある。問題はこうだ。証言するために新たな形式を考案するか、あるいは再構成しようとするか、である。私は新たな形式を見つけたと思っている。スピルバーグは再構成の道をとろうと決めた。だが再構成しようとすると、ある程度資料をでっちあげることになってしまう。仮に私に未知のドキュメントが手に入ったとしよう。それはあるSSの男によって―密かに、というのも映画化は厳しく禁じられたため―撮影されたフィルムである。そこにはアウシュヴィッツ第二収容所の火葬上のガス室で窒息しながら、三千人のユダヤ人が、男も女も子供もどのように死んだかが示されている。もしそのようなフィルムを発見したならば、私はそれを上映しないばかりか、破壊することだろう。なぜかは言えない。おのずとそうわかるのだ。……

…『ショア』は多くのことを禁じている、『ショア』は人々から多くを取り上げている、『ショア』は無味乾燥で混ざり物のない映画である。『ショア』にはどのようなものであれ個人の歴史は現われない。生き残ったユダヤ人は、ある特有な仕方の「生き残り」である。彼らは何らかの生き残りではなく、根絶の連鎖の最後にいた生き残り、彼らの民族の死を直接に共に体験した生き残りである。『ショア』は死についての映画であり、生き残ることには関わっていない。
 『ショア』では生き残りの誰も「私」と言わない。理髪師は、三カ月間の収容所体験の後にトレブリンカからどのように逃れたかを語らない。これは彼そのものと同様、私の興味をひかない。彼は「われわれは」と言い、さまざまな死について話す、彼はその代弁者である。そして私はといえば、ユダヤ民族全体に妥当するある構造、ある形式を見つけるつもりだった。
 『シンドラーのリスト』を見て、ひとは泣くだろうか。そうかもしれない。しかし、涙は一種の快感であり、一つの享受、カタルシスである。多くの人が私に言った、あなたの映画を観ることはできない、たぶん『ショア』では涙を流せないから。
 『シンドラーのリスト』は大いなる和解とともに、イスラエルにあるシンドラーの墓とともに、その十字架と小石とともに、突然映画に現われ出る色彩とともに、映画は終わる。ハッピーエンドという仮説を暗示するために……。そうではない。イスラエルホロコーストからの贖いではない。イスラエルが存在するという目的で、この六○○万人は死んだのではない。『ショア』はまったく別の映像、果てしなく続く道で終わっている。ホロコーストは決して終わっていない、という言うために。
(「涙を流すべきではない―『シンドラーのリスト』への異議申し立て」『ル・モンド』一九九四年三月三日より抜粋)

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物語のちからゆえに、歴史から遠のくこと。

ドゥルーズ『シネマⅡ』は映画「ショア―」と同年発表(1985年)なので、ドゥルーズのコメントはないのだ…と残念そうな、「偽なるものの力能」とランズマンをであわせた文章を、その語り口ならぬ書きかたに心ひかれる文章を、どこかで読みました。
そんなアプローチもあるのだな。

人間はことばをもっていて、ことばをもっていることの悲喜劇ゆえに、物語りや物語の暴力を生き死にするのだ…と思っていたのですが。いまの若い子は物語なんてなくてもいい、そんなんいらんって感じ…と、友人が言っていたことを思います。
…この映画は90年代の上映会で観ましたぜ、というわたくしは、「いまの若い子」からは遠いのでしょうか。