あるのであるでなければならぬそうですわ

「思想」岩波書店、1995.11. No.857
思想の言葉 坂部恵「西田哲学の文体をめぐって」より抜粋

……すくなくともある時期以後の西田幾多郎の文体の特色の一つに、右の引用に典型的に見られるような、「あるのである」の多用がある。……

 「あるのである」は、リダンダントな(強調)表現だから、伝達すべき内容は何も担っていない。メッセージのためのメッセージ、これもまたヤーコブソンのいう言語の詩的機能の一例だろう。とすれば、「あるのである」のルフランは、哲学的散文のうちに埋め込まれた西田の詩だということになる。かなり重苦しいリズムに読者を誘い込み、ときに辟易させることがあるとしても、それはたしかに一種の詩であるだろう。

 「あるのである」は、別の見方からすれば、文字どおりリダンダントな、述語の重畳、「二重化された述語」である。ここで、おのずからことがらは、西田の述語中心主義と関係してくる。述語あっての主語。「述語面」あるいは「無の場所」の一種の重畳・二重化による主語的なものの出現。述語面あるいは無の場所から逆に見返された主語的なものの「影像」化。とすれば、「二重化された述語」としての「あるのである」は、むしろ主語的・主体的なものの確立が十分でない状況において、主−客、自−他のかかわりの基底である「述語面」のありかたを(言語表現の境界で)反復・確認することによってそこに根づき、いくらかでも主語的・主体的なものを補強しようとする賢明な努力のあらわれと見ることができるだろう。

 「あるのである」のルフランの向うに、こうして、明治以降あわただしく近代化を遂げつつある日本にあって、西洋の哲学を急速に消化し、いささかの背伸びを承知でみずからの生活基盤に即して哲学しようと孤独な努力を重ねる西田の姿が見えてくる。「日の丸」を背負った明治・大正期の「日本男児」の演説の類にも、同様のルフランは頻出したはずだが、そこに見られる空々しい虚勢の影は、おなじ「あるのである」といっても西田の場合には微塵もない。防衛機能まるだしの虚勢の叫びよりは、むしろ自己の存在基盤へと深く潜行しつつあるもののその都度必死の自己確認の呟き、独語であろう。どちらも、真に安定した主体の確立の困難に際会している点ではかわらないとはいえ。


 中川久定は、西田研究の現状が、小林秀雄林達夫の夙に指摘している西田の文体の特異性とその意味に十分な関心を払っていないことを指摘し、この問題に関するみずからの見解を述べている(「西田幾多郎の哲学と文体――上田閑照編『西田哲学』の読後に」『創文』一九九四・九)。……

……西田は、自己の存在と神、明晰判明知と神の誠実を結ぶデカルトの論証を批判し、つぎにカントによるコギトの実体化の批判を自分流儀に読み替えて、カントの自覚的自己は、「すべての判断を自己限定として成立せしめる述語的主体となったということができる」、と年来の述語面、無の場所優位の説に引き付ける。このような考えにたてば、「私は考える」とは、「真の無の場所の側から、述語面の自己限定として、私の判断が私に迫ってくる、という事態」にほかならぬと中川はいう。私の考えが、強い衝迫をもってその都度自らに臨んでくる。「なければならない」は、そうした事態の表現だというのである。
 「なければならない」は、「あるのである」と表裏一体の表現だろう。「あるのである」をめぐる先のわたくしの分析は、中川の卓抜な着想に触発されたささやかな展開のこころみにほかならない。


 文節の終わりを高く上げて長く引っぱる当世風の日本語の発音、あれはあるいは全共闘の闘士たちの演説のスタイルの影響もいくらかはあって、七○年代あたりから一般におこなわれるようになったものだろうか。(外来語の長母音を含んだ短い単語、たとえば「サーブ」「ヘーゲル」などを、高いピッチではいって尻上がりに発音する、原語のアクセントとは無関係な言語風俗も並行現象だろうか)。ともあれ、それが、「私の言ってるのは大事なことなのだ、内容は二の次で耳を傾けて聞いて下さい」という情報外のメッセージを含み、主体の未成熟ないしは甘えを、あるいは、それと表裏して、時代、社会、家庭などをめぐる厳しい状況重圧の下にある主体の存立の不安定を暗に語っていることはたしかであるようにわたくしにはおもわれる。それは、わたくしには、西田の「あるのである」のはるかな一変奏のようにも響く。当世の青年男女が耐えているものの重さが、往時の大哲学者が耐えていたもののそれにくらべて軽いなどとだれに断定できるだろうか。

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引用ながくなりました。うつくしくて削り難いのです。