風立ちぬ

風吹かばひりひりひやりのアロデニア。風がなくとも消耗します。
いつだったかの診察で「ひりひりがなければ」とほんわりおっしゃった先生の言葉は
いつもあっさり的確なのでした。むーん。範囲がひろがってきたのはいやですねー。

獄中死された三木さんは栄養不良と疥癬による腎不全、ベッドから床に転げ落ちて亡くなられていたそうですが、どんなに寒かったり痒かったり苦しかったりされていたのでしょうか。けっして三木さんと比べてはいけない(ごめんね三木さん)ブリリアントな戸坂さんも、栄養不良に疥癬で腎不全の獄中死だったそうですが、戸坂さんが長野の刑務所に移送されてここは味噌が豊富で甘いのでだいぶ太ったとかお父さんはここに来たのをよろこんでいるからとかなんとかご家族に送られた最期のほうのお手紙など手軽に読めてしまうので読んでしまうのですが、なんともやりきれませんね。

あのひとが戦後を生き延びていたのならどうだったのだろう、といった話をすることが何度かありました。
ベンヤミンは戦前のひとなのだ、などと彼の論考を評しながら友人が言っていましたが、シモーヌ・ヴェイユだってもう数年生きていたら何を書いたのだろう、なんてすこし意地悪く想ったりします(ごめんねシモーヌさん)。
そのところアレントさんはすごいです。アレントさんもヤスパース先生もしっかり戦後を書いていかれたのがすごいです。
生き延びは偶然性をはらむがゆえに選べないものなのだとしても。
必然性にこそ自由をみるのがシモーヌさんですが、わたくし、必然性という言葉にはどうにも馴染めないのです。
「たまたま」に「どうしようもなさ」をみる、というのであれば、しっくり馴染めるようなのです。どうにも。

いやいや、ひりひりと関係のない話でした。どうも飛躍していけない。
秋風しみて冷えきります。でも動くことができる、人と会えるのは嬉しいのです。
風立ちぬ、生き行かねばなりませぬ。