バクのように

お知らせいただき足を運んだ研究会は、母校での開催でした。
友人教員に恵まれてバクのように暮らした環境のおかげか、いまだに土地勘がありませぬ。
駅に降り立ったときの町の匂い、かつて通っていた路の風景に、感覚ざわざわ記憶ぎりぎり、筋肉もぎりぎり、
一瞬とまどい立ちどまり、物腰柔らかな紳士に道路でも会場でも2度もぶつかってしまいましたが、
見知った顔に研究発表がはじまれば、すぐにその場所はホームになる。

その土地への愛着が、自分で思うほどには私にはなかったのです。
渡り廊下を歩いていく感覚や、建築様式の空間感覚、木々の闇とざわめきを懐かしいと思うようになったのは翌日以降でしたが、
その場所にはもういないひとたちをつぎつぎ想いました。
晩秋の暮れた坂道を一緒に下った美しい友人の姿、とりどりの季節を一緒に歩いたひとたち。
誰かと一緒に歩いて、歩きながら響いた存在の美しさ。時系列をとらない記憶。
研究会の帰路、恩師やあたらしい知人と歩きましたが、この感覚には覚えがあって
何処であれ誰とであれこの幸福感この美しさこの寂しさは変わりがないようでした。

ホームランドを持つことと、ホームを持つこと。
学校がなくなったら卒業生が可哀想との意見をさいきん何かで読みましたが、
たしかに寂しいですし不利益なども出てくるのでしょうけれども、
そこで受けた教育がそこで出会い一緒に過ごしたひとたちがそのひとのコアをなしているのであれば
それをホームと呼ぶのであって、ホームはありつづける、そう言えるのではないのでしょうか。
ホームがあるから、それまでいた場所と別れることもできれば、あらたな場所で暮らすこともできる。
その土地その土地で場所をつくっていくことができる。そう言えるのではないのでしょうか。

さいきん催されたその道のパイオニアたる方々のふたつの講演で、それぞれ同じことを聴いたように思います。
そこが何処なのかわからなくても、そこが安全だとわかって、そこに居てもいいと思える場所をつくること。
縁先で「普通のおじいさん」になってしまえる建物。「地域に開かれた病院」ではなく「地域の役に立つ病院」。
切干大根をつくる、昆布を売る、働いて賃金を得る。矛盾のない現実。
老いや病いで、何処にいるのかわからなくても、どうやって来たのか忘れても、ここが何処なのかしょっちゅうわからなくなっても、そこで生活ができること。

けれどもそれでも私は、生まれ育った土地との有機的な関係性をこそホームだと思っているふしがござります。
毎日異なる土地で異なる夕陽を眺めて暮らしたいのだと旅人を生きるひとは好きではあっても
私じしんは土着の思想が居心地よいのです。この土着性はレヴィナスが批判するところなのですが。

なんですかな、筋肉ぴきぴきとコタツにもぐり思うことは、なにがあっても年を経てもあまり変わりがないようです(医師に「おこたはいいですよー」と言われて購入を決断をしたのでした。決断することを決断せよとハイデガーふうの鼓舞ではなくて、実生活に根ざしたアドバイスはうれしいです)。
学習が進みませんなー。ふるくてあたらしい、あたらしくてふるいテーマです。

それにしても。はじめて足を踏みいれた新築校舎におぼえた何かしらの違和感、あれは何だったのでしょうか。
柔らかさではなくて、もかもかとした曖昧さ。建材が建築にそぐわないのか、何かがうわついた感じ。
無理に「もどき」にしなくとも、別の在りかたもあったでしょうに。
じつのところはじつにラディカルな建学の精神からすると、懐古趣味的となってしまうのは悲しいです。