のびてます

ふわふわくらくら貧血めまいで奴隷船で運搬されているような五月は過ぎました。
頭痛がおもく気を遠くしながら、頭痛もちの辛さはわからないもんだ、と思いましたさ。
腰を痛めたときは、腰痛もちの苦しさはわからないもんだ、と思ったこともありましたっけ。

先月の日食は観測しませんでしたが、月食を眺めました。
前日に見あげたぽったりやさしげなお月さまが、空のどこにも見つからない。
夜の空気はしっとりおもく、姿の見えない満月がとろりと溶けこんでいるようで、かえってお月さまの存在を感じましたさ。
観測しなくとも、影も光も浴びている。そう思うのです。

すこしばかりはっきりと動けるようになって、水辺の風に吹かれて歩いたり、
打てば響くというよりは触れなくても響くひとたちをさわさわぺちぺち触ったり、
「目を閉じること」と「見ないこと」の違いを感じたりもしましたさ。
目を閉じることと、見ないことはちがう。
目を閉じるだけでは、見よう見ようと前のめりになる。光は見えるから。
見ないと決めたら、重心がすとんと落ちて体の軸がたつ。立ちかたが変わる。うわんと触覚が起きてくる。
地面と私との垂直の軸あっての、あなたと私の関係。
あなたに触れられあなたに触れていると、あなたと私の接触、触れられること触れることばかりに気持ちがいって、
私は地面に立っていてあなたも地面と接触していることを忘れがち、
あなたも私もこの空間の存在なのに、空間に於いてある感覚が置き去りになりがち。
我と汝をつつむ社会あっての「私」に「あなた」なのに。

ひさしぶりの通院日、先生のお顔を見ながら、いきいきしましたさ。楽に話せる元気がある。
「それは制度でのはなしだから」などとほんわりあっさり言ってくださる言葉が、ととんと耳に入る。すんなりうなずきましたさ。
何故か先生の診察でほこほこと体温があがるのですが、血流がよくなるのはいいですね。そんざいちりょう。
節電とかあるけれど生き延びてください、と言っていただいて、生き延びます、と言いました。
もうすでにのびてます。おもえばずいぶんのびました。けれども、夏も節電もあるのです。