回廊をめぐって

回廊をまわっていると、何処にいるのかわからなくなる。
どこも明るいから、混乱してしまう。
回廊があって吹き抜けが高くて明るくて、中庭が見えて、他所から来るといいように見える。
そんなところは、そこからは何処へも出られないところ。
隠れられる場所がない、いつも監視されているところ。
閉鎖しているから、回廊がある。
そんな話を教えてもらいました。

やれやれよれれとお疲れのご様子の師匠がくーっと飲んでいらしたサイダーがとても美味しそうで癒された、
そんな梅雨入りまもない蒸しあつい日のことでしたが。

私は、もうずいぶんながいあいだ、
私はおもう、おもう、おもうとまわりつづけてきたのでしょうか。
私はおもう、おもう、おもうのだけれどのひとり独りごとの繰りごとは、
私はこう考えるけれど、あなたはどう考える?という「対話」にはならない、のでしょうか。

この書は対話不能な状況でのモノローグ、モノローグでいいのだと、
ローゼンツヴァイクのある書物にたいしてコメントされたある先生の存在をおもいました。
もうずいぶんながいあいだ、何度もおもってきたことなのですが。

雨ふる通院日、予測しなかった道のりをぐるりぐるりとめぐってしまい、
眩暈をおぼえながら診察を受けましたが、
脈をとる手首におかれた先生の指の確かさ、確かなまなざし、息の深い存在に触れて、目が覚めるようでした。
窓も廊下も出入口も開いている。

言葉のちからはとても強い。
言葉のちからに耐えうるだけの言葉のちからを持ちたいと思ったことは、
もうずいぶん以前にもあったはずなのですが、
そう自分が思ったことも、わすれがちで、めいりがち、めりこみがちでおりまする。