忘れちまった悲しみに

"Forgotten wounds can't be healed, so I film to heal."

「5台のカメラが壊された〜パレスチナ〜」(5 broken cameras)というドキュメンタリ、パレスチナ人のイマードさんの言葉。

「忘れてしまった記憶の傷は癒すことはできない」というふうに、私には聞こえていました。
memoryなんて言葉はなかったのだけれども。

どうにも、ベンヤミンの記憶のはなしに引きずられっぱなし。

ベンヤミンといえば、わたくし、三原弟平さんの『ベンヤミンの使命』(←昔から絶版)では、
模倣の概念のあたり、並置されるフロイトのテレパシー論やら、子どもの言語習得、太古の人間の能力といった話などがとりわけ好きなのですが。
私の好きな「カフカ好きのミハラさん」の文体のおかげか、すこし読んではぐーっと巡ってしまうので、ながく続けて読めません。
根気とぱきぱき読む力がないだけ、ともいうのでしょうけどなー。
私のもともとの持ちネタの少なさと、手詰まりで停滞した学習ゆえに、
いつもおなじところのベンヤミン想起になってしまう、ともいえるのかもしれませんなー。

けれどもけっして、ぐるぐるまわったりはしないのです。ベンヤミンの名にさまようだけ、なのです。
ぐるぐるまわって溶けたりするようなことは、けっしてないのです。
いちど溶けてバターになったら、あとはこんがりホットケーキに焼かれておしまい。ドナドナ。