ときとき

冷たくなりました。すっかり秋。
まだ日中は夏の陽気だったころ、夜に運ばれた金木犀の香りに不意討ちをうけました。

花の香りはひやりと鼻先をかすめただけであるのに経験への予測が先走りして
花の甘さが鼻腔から舌に落ちて喉をとろりと満たす錯覚を覚えたあとで
遅れてその香りを嗅いだのでした。呼気はまだ立ちあがりきってはいなかったのです。
リズムみだれて息切れ。

同じ季節に同じ場所で同じ花の香りを嗅いだ、かつての時の記憶。
記憶が知覚を先取りしてしまう。

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夏よりこのかた季節とともに移ろわず、こわばり過ごしていました。
生活圏をよろけて歩けば通りがかる顔見知りに挨拶をいただいて顔がほころぶのですが、
それでも喉は腫れ耳は塞がり固まりがち。

そんなある日、さわやかな秋風に吹かれていた師匠をつかまえて(あらかじめ網を張っていたわけではなくて、通りすがりに道端に落ちていた小枝をつかってひょいと捕獲させていただいた感じです。野生の知恵)すっかり固化した声でがうがう話をして言葉がなぐさめられました。弁証法的破壊。

目の前のひとと話すことができること、そのひととわたしとのあいだで時間がうまれること、あなたとわたしのあいだ、わたしとわたしのあいだで、わたしがうまれること。

知覚は既に記憶であっても、知覚は即記憶ではないのだから。
記憶は予測と適応のため、記憶は未来のためにあるのだとエンジニアが言うように、
知覚と記憶の予測のずれが自己を生成していくのなら、
この運動−知覚のあいだに時がうまれ、あなたとわたしがうまれ、そうして時間はながれるのでしょうか。