わたしの好きなおじいさん ほんやくぶんがく編

その1 ゾシマ長老さま@『カラマーゾフの兄弟
「ああ、慰められぬがよい、慰められることはいらぬ、慰められずに泣くがよい」などと言われたら泣きます。長老さまー。米川正夫訳で読んだおかげです。
「おまえさまを一目おがみに参じやした。わしはもう何度もおまえさまのところへまいりやすに、お忘れなさりやしたかね?もしおまえさまわしを忘れなされたら、あまりもの覚えのいいほうでもないといえる。村のほうでおまえさまがわずろうていなさるちゅう話を聞いたもんだで、ちょっとお顔を拝もうと思って出向きやしてね。ところが、こうして見れば、なんの病気どころか、まだ二十年ぐらいも生きなさりやすよ、ほんとうに。どうか長生きしてくださりやし!それにおまえさまのことを祈ってる者も大勢ありやすから、おまえさまが病気などしなさるはずがござりやせんよ」なんて言ってくる村のおかみさんと同じく私も「どうか長生きしてくださりやし!」と思うのですが、亡くなってしまわれてすぐ腐敗臭がしたことで物議をかもしました。長老さまー。

その2 ブルゴスのホルヘさん@映画「薔薇の名前
ウンベルト・エーコの原作をめくって図をみても迷宮の文書館など僧院の建築からして想像しがたいのですが、映画は映像なのでわかりやすい。
幻のアリストテレス詩学」第二巻、毒をしみこませた頁をみずから破り食べて死んでいかれる盲目の文書館長ですが、ボルヘス先生がモデルとなっていることで有名らしいです。
「神は笑った」なんて文書は禁書にして頁をめくって読んだ者が死に至るように毒まで塗って秘蔵しても焚書してしまうことができない、そんな文書の徒たる魂がすてき。あの時代の紙は喉につかえそうです。百年も経たないのにひどく劣化してしまう酸性紙とは大違い。
経年変化で「手に取るとぺりぺり破れてしまう」「触れた指の形に崩れてしまう」などと耳にするそんな近代の書物というのも、時効のついた禁書のように思われます。書物も物質ですからなー。著作権がきれたころに物理的に読めなくなってしまうとか嫌ですなー。
現代ではホルヘさんが理想とされるアーカイヴとはどんなものになるのでしょうか。
近未来にホルヘさんがいらしたらクサナギモトコと戦うのでしょうか(←師匠の影響)。ふーぬ。

その3 ホセ・アルカディオ・ブエンディアさん@『百年の孤独
とてもまともなおじいさんに思えてしまうのですが、どうなのでしょうか。
わけのわからぬ言葉を話すようになってそれがラテン語だと判明したあとも問答すれば理性的、その理性にふれてご自身が揺れてしまった神父さんが近寄らなくなってからも、縄をとかれてもそのまま、時が経つにつれますます冴えていかれる感じがします。
栗の木にくくりつけられたまま息子のお嫁さんのレメディオスさんが毎日シラミを取ったり身のまわりの世話をしたり。
晩年の平穏さがとてもまっとうに思えてしまうのですが、どうなのでしょうかな。

小説そのものは読んでいてセンテンスごとに視覚イメージがぱたぱたと畳まれていく感じが初読時にとても新鮮だったのですが、どの人物をどのように書くにもそこに作者の愛が感じられます。ざくざく書いていてもなんだか何ごとも愛おしむような繊細な柔らかさがあって、不思議な魅力。
それでいうなら『百年の孤独』よりも『コレラの時代の愛』がいいですな。延々とつづく人物の陳腐さへの愛。翻訳のおかげもあるのかも。