てつがくをゼーエンするのだ

蔵内数太「耳に残っている三木氏」より
三木清全集 第18巻・月報、1968年3月、岩波書店) 

…三木氏は西田博士の門下であるが、その博士の講演を私は三木氏のお蔭で一回だけ聞くことができた。同時にこれは博士の風姿に接した唯一の機会でもあった。それは三木氏の斡旋によって西田博士の講演会が法政大学で開かれたときである。会場は当時の五百人ほど入れる大講堂で、満員であった。博士の講演は演壇の上を右に左に歩きながら、且つ思索し且つ語るという風であった。これは西田博士の学生であった人々には珍らしいことではなかったであろうが、わたくしどもにとってはかなり変った講演ぶりであった。しかしそれよりも驚きはホールの中ほどよりうしろの聴衆には殆んど話が聞こえなかったのに、満場まことに水を打ったように静かに壇上を注目していたことである。私はその時後で人に言った。「今日は西田哲学を見(ゼーエンし)たのだ」。内容は人が理解できないばあいでも、少くも一歩一歩思索する態度を西田博士は人に伝えていたのであるとすれば、ことばをうまく生かして論理と思想の世界に人をひきいれるのは三木氏の独特の才能であった。

※原文よりルビ表記を変更