イントロダクション。読みかじりメモ

イントロダクション。intro-duction.
翻訳書の「解説」「序文」、読みかじった言葉のメモ。

アルフォンソ・リンギス 『汝の敵を愛せ』(発行元:洛北出版/発売元:松籟社、2004年7月)より、
田崎英明氏の解説。出版社のサイトに転載されています。
田崎さんのマッピング&ブックガイドがすてき。
2004年のものだけれど。

洛北出版「特集 リンギス」
http://www.rakuhoku-pub.jp/special/01lingis.html
田崎英明 世界と出遭う処へ リンギスの導入のために」より、抜粋。

「たとえば初めて訪ねた町で、私たちはのどの渇きを癒すためのビールを手に入れるよりも前に、空腹を満たすための屋台を見つけるよりも前に、あるいは、今夜の宿に疲れた体を横たえるベッドを確保するよりも前に、暑さや湿気や喧騒やにおいといったものに貫かれ、満たされる。私は町の空気を享受する。さまざまな事物を道具として使いこなす前に、私の身体図式が他の身体図式を模倣するよりも前に、熱や湿り気や音のうちに浸りこむ。そこでは内と外の境界は存在せず、私の身体と空気の暑さや湿度や騒音とを区別することはできない。道具を用いて何かの目的を実現して得られる満足よりも手前に、目的も対象も手段も、そして、主体もなしに、享受は存在する。だが、この享受に私たちはとどまっていることはできない。私たちはすぐに手段―目的という道具連関のうちに差し挟まれ、労働と交換とコミュニケーションの世界に巻き込まれれる。」

れれ、れ?
導入。導入?
中井久夫氏の「イントロダクション」。ひきずり込まれるために。

『災害時のこころのケア サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 原書第2版』
アメリカ国立子どもトラウマティックストレス・ネットワーク/アメリカ国立PTSDセンター著、兵庫県こころのケアセンター訳、医学書院、2011年07月

「推薦のことば イントロダクション (中井久夫) 」より抜粋
(出版社のサイトに転載されています)

…「ただ、マニュアルは教科書ではない。マニュアルにはいささかの取っつきにくさがある。序文に多少の意味があるとすれば、取っつきをよくする工夫であろう。私がこの序文を、カタカナ語の氾濫に眉を顰〈ひそ〉められるのを承知で「イントロダクション」としたのは、「中にひきずり込む」というその語のもとの意味を含めてのことである。

 本書の最初の部分は一般的常識に見え、そういうものとして読みとばされる恐れがある。マニュアル作りがうまいのはアメリカが移民の集まりの国だからだろうが、その結果生まれたマニュアルほど常識が必要なものは他にない。常識を骨太とするのがよいマニュアルである。
 弁解の文化が発達している日本ではマニュアルは弁明の根拠であり、いろいろな項目の有無や記述の欠陥が追求される。しかし、それは正道か。こういう実話がある。

 将棋の名人に「あらゆる手を想定して次にどこに駒を置いたらよいかを本に書くことができますか」と将棋記者が尋ねた。名人の答えは「書ける」。「では、一手ごとにその本を見れば名人にも勝てますね」「うん。でもビルの一つや二つでは足りないぜ」
 災害は毎度新しい。私たちは毎度ビルの階段を駆けのぼってはおれない。現場で重要なのは状況の盤面をそのつどそのつど読みこなすことである。イマジネーションとセットになったとき、骨太な常識が一本通っているこのマニュアルが生きるのである。

 本書の“常識”は古来の医療である。ヒポクラス時代からの「まず害するなかれ」「まずそばにいること」である。
 そして「温和な態度で簡単明瞭な日常の言葉を語れ」「相手がとった最低限の利己的行動をなじるなかれ」「医療の専門家以上に出るな」「当面の身体と環境の安全を確保せよ」「あなたの本物らしさはあなたの日常の立ち居振る舞いから判断される」「喪失体験、トラウマ体験に深入りするな」「症状、病理、診断など病いのほうに偏る言葉を慎め」と次第に具体的になっていく。
 「あやふやな情報、誤解されやすい言辞をもてあそぶな」「上からの目線をやめよ」「子どもにはさらに目の高さを合わせよ」「通訳を使うときも通訳でなく本人の目を見て」「思春期の人は対等の大人同士として」「親へのエンパワーメントを忘れるな、障害を持つ人、高齢者にも」「基本は、“何かお手伝いできることがありますか、お役に立てることが”である」とさらに具体性が増してくる。」…