風に吹かれて

四月もなかばを過ぎ越しました。
花が美しい季節になりましたね、そう言われて遠くの木々を眺めて息をついたのが、春の花の見納め。胸にしみて美しかったのです。
花もすっかり変わりました。

先週は通院日。
ぽつぽつと話しはじめて、ドアがこう困るんです、出入口とお手洗いさえ問題なければ、などと身ぶりふりふりとお話をして、
そういえば先月はこんなこともあった、あんなこともした、新しく知るひとも、また会うひともいる。
そう悪くもない。困ってもそのときはそのとき、どうにかできるや。などと思い直して、うはーっと笑っていました。
息がとおる。表情がうわりとほぐれる。寒気ぞくぞくと身をかたくしていたことがわかる。なんとも治療的。
むはっと笑いながら診察室から出ましたが、患者さんがお待ちでした。ああ、患者さんも先生もごめんなさい。
お薬屋さんで「試供品をお配りしているので」と薬とともに頂いたマヨネーズを一本ごろりとバッグにしのばせ帰路につきましたが、新緑のまぶしいこと。
にやにやしながら光をあびて風に吹かれて歩きましたさ。

疲れた疲れた痛い苦しい面倒だと息切れしてぼらぼら鳴いて過ごしていたように思うのですが、息がとおる瞬間に恵まれます。ぎゅっと骨にしみる痛みや引き攣れなどは息苦しいですけども。
今日だって、まだあまりお話もしたこともない先生に、研究室の通りがかりに「せんせいーっ」と大きく手を振ってご挨拶したら気持ちのよい笑顔で手を振って下さった、そんなことなど嬉しいです。外に出かけて誰かに会う、いっしょに本を読んだりできる機会に恵まれること、それができることなどしあわせですが、体力の問題はいつもありますね。
「疲れがたまってしまうのをどうにかするようにしていかなあかんね」「無理しすぎんように」と先月から処方していただいていたカンポウはこっくり甘くて苦い。「無理しないように」ではなくて「しすぎないように」というのはいい言葉だな、などと先生の言葉をもそもそ反芻しながらずるずる暮らしていた私は、具合が悪かったようです。食べられなくてもカンポウさえ飲めていたらいいや、そう思いながら先生が調整してくださるカンポウをすすって暮らした時期もありましたっけ。
栄養されています。植物のように水や肥料をいれていただいている感じがします。

いつだったか、人間概念にこだわりすぎる、と言われて、そうかもしれない、と思ったことがありました。
植物だって動物だって物だって人間だっていいのさ。人格だって動物格だってロボットだっていいのさ。
かつてのその人でなくとも、いまのその人がいいのさ。
どのような生であれ美しいさ。
そうしてむはっと笑いたいもんですね。