タロウの黒太陽

バンパクの廃墟に造られたキャンパスの端、附属病院の高層からは、
太陽の塔」のちょうど裏側、黒太陽がよく見えます。

塚原史さんの壮大でスリリングな解釈を思います。
(スリリングって80年代ふうの響きだわん)

塚原史『人間はなぜ非人間的になれるのか』ちくま新書
第三章 未開――岡本太郎太陽の塔」の謎

岡本太郎によって「いちばんの反博」としてぶち立てられた塔。
文明に対する、未開によるラディカルな挑戦。

「私の作ったものは、およそモダニズムとは違う。気どった西欧的なかっこよさや、その逆の効果をねらった日本調の気分、ともども蹴とばして、ぽーんと、原始と現代を直結させたような、ベラボーな神像をぶっ立てた。」『日本万国博 建築・造形』(恒文社)1971(←本書よりマゴビキ)

《太陽、切られた首=白く塗られたいけにえと血の供犠》という解釈。
太郎が過ごした30年代のパリ。
アポリネール「太陽 切られた首」、バタイユ「太陽肛門」、モース「犠牲獣」。
そして、母(かの子)と父(一平)と子(太郎)。

塔の3つの太陽。
頂上の顔は母、祭りのいけにえとして首を切られた母なる太陽。
胴体の顔は子、母が生死の境界を越える瞬間に産み落とそうとしている子としての新たな太陽。
背面の黒い顔は父、彼らをうしろから見つめる、みずからはすでに光を失った父としての太陽。

塔の胴体に生えているのは両腕ではなくて、両足。
胴体に顔があるのではなくて、出産される太陽(胎児なので目を閉じている)。
この場合、「背面の黒い太陽はちょうど塔の身体の肛門に位置しているのである」。

研究教育にふさわしい眺望なのですかな。デザインりょく。