なまのてつがく

…前世紀の末以来哲学においては、<真の>経験を獲得しようとする一連の試みがなされた。この<真の>経験は、文明化した大衆(マッセ)の画一的で不自然な生活に沈殿する経験と対立するものとされる。これらの勢いこんだ試みは普通一貫して「生の哲学」という概念で呼ばれている。当然ながら、それらは社会における人間の生活から出発することをしなかった。それらが引き合いに出したのは文芸であり、あるいはむしろ自然であり、そして最後にとりわけ神話時代であった。ディルタイの著作『体験と創作』は、この系列における最も早いもののひとつである。この系列の最後にくるのはクラーゲス、そしてファシズムに身を捧げたユングである。これらの書物のなかでひときわ高くそびえている記念碑的業績が、ベルクソンの初期作品『物質と記憶』である。…

ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」より抜粋
ベンヤミン・コレクション1』ちくま学芸文庫

                                                                                                                        • -

このさき、ベルクソンを批判しながらボードレールへ。
フロイトを運用し、ベルクソンからプルーストを引き合わせ、えんごらえんごら。

思い出すこと、記憶すること、忘れること。
これらは、同じことなのかもしれません。