原植物

診療台に身をもたせ、目を閉じる。クリームいろのひかりのなか、やわらかに手をとられる。
脈をとられる先生の手。治療を受ける。息がとおる。ぼらぼら涙がながれる。空調がぶわりと暖かい。
わたしの足、わたしの腕。診療台のうえのどこにあるのか浮かんでくる。
大根、白菜、蓮根とごろりごろりと野菜が置かれているかのような物質感。

先生の手に触れられて、私の手ができてくる。先生の手が触れている物体、先生の手によって示される輪郭。
この指は使わないからと教えてもらった、名前のない指。使わなくても私の指。使えなくても私の指。
私が見ることができなくても、誰かが見てくれているのなら。
誰にも見られることがないのなら、私が見てやらなければ。
事物は哀しみゆえに沈黙する。

治療をはじめたころ、どこに触れられているのかわからなかった。右か左かを間違える。
こちらとこちらではどうかと触れて確かめられて、どこもひりひり、表と裏がわからない、ふふふと笑って触れられながら安心している。

カーテンが空気をはらみ揺れる。先生の手がそっと確かめてこられる。タオルをもう一枚かけられる。楽に呼吸をしている。
先生がやわらかに動かれる気配、すこし離れたところで擦れるカーテン、足を引きずる患者さんらしき歩調、だれかとだれかの話し声、遠くで準備される器具の音、操作される機械音、誰かにともない揺れる風。私の皮膚を歩いてゆく触覚。
診療台に眠りながら、診療台とつながり、床とつながり、建物となり、空間となる。
真夜中に家族が弦楽を調音する、隣室から低くやわらかに響く音色とびりびり床から寝台へつたわる振動のなか眠りにつきながら、
床や壁や家、家具や楽器といった物と同じく私も物として眠りに落ちていた、そのときの感覚。
時間が過ぎる。厚いシーツが敷かれた診療台、つめたくかたい床、わたしの身体、輪郭が浮かびあがってくる。
そうして私は私の身体になる。

ずいぶん以前に見た光景。
待合い椅子に腰をおろしたつらそうなご様子の患者さんと、傍らに立つ医療者。
聴診器をつけて聴いているのに、患者さんのほうへ被さらんばかりに大きく身を傾けて血圧をはかっている若い医療者と、目を閉じてゆったりと息をされているご高齢の患者さん。おばあさんと若者が一緒に脈を聴いている、その円環。

血圧計がうなりひびく静かな診察室で、手首におかれた先生の静かな指先を感じながら呼吸を整えるとき。
手早く確実な処置を受けていて、外科の先生の確かな指を眺めているとき。
ぱっと先生が手を伸ばして来られて、ほわっと私の手に触れて確かめられるのを見ているとき。
何かが聴こえている。何かを聴いている。私はそうは思ってはいなくても。

誰かと触れているとき。誰かと一緒に歩いているとき。
誰かと黙って座っているとき、どうでもいい話をどうでもよく話しながらただ一緒にいるとき。
何かが聴こえていて、何かを聴いている。
見える像があるのではない。像は永遠の停止。凍りつかされた時間。像を作るなかれ。