ごうごう

五月もなかばです。
陽光まぶしくすっかり薄着で美味しそうにアイスを食べる子たちの健やかさ。
私といえばすっかり冷えて電気毛布にコタツで存えているので笑ってしまいました。

寝ついていて眠らなくなったりまた眠るようになったりしていましたが
喉から耳を痛めていました。ごうごうぼわぼわ。知らない世界があるもんだー。

どうなってもそこでの生活がある、そこでどう生活していくかなんだ。
どのような非日常といわれる状況下であれ日常生活があるのだと『サラエボ旅行案内』を取りあげながら学部時代のパンキョーで聞いたはなしを想い出しましたが、ヤマイというのも旅にでるようなもんですな。

先月にくらぶれば体力の底があって元気。
どうにかなるもんですよ。脳なんてろくにわかってないのだからどうにかなりますよ。
などと快活におしゃべりしながらホネのある科学者に言ってもらったことがありましたが、ただしいサイエンス・リテラシイだと思います。
けれども、どうにもならんものはどうにもならん、それが自然じゃ、というのもサイエンスだと思うのです。

ものをもらって

すこし動きすぎて疲れて寝ていたら連休の前半が明けました。
もう四月もおしまいの今日のことばのメモ。

その1 ものもらい
ぱきっと美男子な男子に「久しぶりですね、めばちこ出来てませんか」と言われて「よくわかりましたね、ものもらいです」と目蓋をすこしばかりめくって答えましたが、方言は楽しい。私はモノモライのくぐもった語感が好きです。

その2 きむらびん
木村敏『新編 分裂病現象学』(ちくま学芸文庫、2012年)読みはじめ。この厚さの文庫は扱いづらい読みづらい頁も繰りづらい。しかも私は手が痛い。でも持ち歩ける。場所も取らない。すごいな文庫。
内海健さんがあとがきを書かれていて」と紹介されて購買意欲にかられた本だったのですが(なんですかなそれは)、読まず嫌いでした。
キムラさんご自身の現象学の限定をちゃんと書かれていたり、基本的なところがおもしろい。すぐ読めるのにあまり読まれていないようなのがおもしろい。
ハイデガーはこういうところで足りぬ、ヤスパースの「了解」は底が浅いわ届かんわ、誰それのこの考えもここは評価できるけどここがアカン、ワシはそうは考えぬ、ワシはこのように考える、といった感じで(←もちろんこんなランボーな物言いをされているわけでは決してなくて、あくまで私のランボーな解釈です)すごいなー。
精神医学のことなど、過程やら人格など基本概念からして私は知らずわからずですが、ワカランのでおもしろい。
キムラさんの「人間」がうずまいているけれどもよくワカラン、精神医学から離れていかれたヤスペルス先生を読まんとワカランな、これは新カント派の流れなどいちど整理して見てみないとアカンな、と思ったりするのは私の傾向ですかな。

その3 はなすことはできなくてもかたることはできる
ひとつめ
かたることではなさずにいたり、かたらせることはしてもはなさせはしない、そういうことだってあるんじゃないか。かたりのミュトスが時間を流していく、それを物語りの暴力ともわたしは思う。
ふたつめ
ケアにおいて「語りを聴く」という舞台設定がなされる、それがよくワカラン。
そもそも「語りを聴く」というのが役者と聴衆の関係のように思われますがな(「話す」と「聴く」が分離したのはトーキー映画や電話など19世紀のテクノロジーのおかげとか言いますけどもな。われわれの身体はメディアにつくられているのですがな)。
語りを聴かず騙りを聴かせずとも話したらいいのじゃないか、なんて素朴に思ってしまいます。
「話し」では不可能ななにか、「語り/騙り」では喪われてしまうなにかがあるのでしょうか。
中上健次が老いてちいさくなった母親に昔話を執拗にねだっている姿を連想しましたが(こんなアイデンティティクライシスのありようというのもいまじゃ古典に分類されるんでしょうかな)、すっかり大きなオジサンになった息子にひつこくねだられて何度も繰り返されてきた土地の話を昔話を何度もしてあげる、それは「語り」なのか「話し」なのか。「語り」と「話し」の異なり。
いつだったか「物語から小説へ」とコメントをいただいて、そのまま口ごもったままでいることを(それが私の応答として承認されたことを)想い出しました。

カフェを巡りて

管啓次郎「コヨーテ・パスタ」を読む。とても久しぶり。
http://www.cafecreole.net/library/coyote13.html
まだ開店できたてのカフェ・クレオールのなかでも何度も読んだエッセイ。
当時のまま残されていました。

コヨーテの文章は、夜明けの高原の匂い、歩き踏んだ草と土の香り。
すたすた歩く。ざくざく歩く。ふらふら歩く。
お湯をぐらぐら沸かし、とんとん料理する。
書物は食べやすいようにばらばら割いて歩き読み、読み食べる。
そのリズム。
カフェマスターのイマフクさんのじゅわりと熱い蒸気のごとき精霊のような存在感もすてきですが、
コヨーテ歩きの草の匂いがすきです。
ずるずる寝てもそもそ食べるワシとは身体が違うなと思うのですけどもな。

風に吹かれて

四月もなかばを過ぎ越しました。
花が美しい季節になりましたね、そう言われて遠くの木々を眺めて息をついたのが、春の花の見納め。胸にしみて美しかったのです。
花もすっかり変わりました。

先週は通院日。
ぽつぽつと話しはじめて、ドアがこう困るんです、出入口とお手洗いさえ問題なければ、などと身ぶりふりふりとお話をして、
そういえば先月はこんなこともあった、あんなこともした、新しく知るひとも、また会うひともいる。
そう悪くもない。困ってもそのときはそのとき、どうにかできるや。などと思い直して、うはーっと笑っていました。
息がとおる。表情がうわりとほぐれる。寒気ぞくぞくと身をかたくしていたことがわかる。なんとも治療的。
むはっと笑いながら診察室から出ましたが、患者さんがお待ちでした。ああ、患者さんも先生もごめんなさい。
お薬屋さんで「試供品をお配りしているので」と薬とともに頂いたマヨネーズを一本ごろりとバッグにしのばせ帰路につきましたが、新緑のまぶしいこと。
にやにやしながら光をあびて風に吹かれて歩きましたさ。

疲れた疲れた痛い苦しい面倒だと息切れしてぼらぼら鳴いて過ごしていたように思うのですが、息がとおる瞬間に恵まれます。ぎゅっと骨にしみる痛みや引き攣れなどは息苦しいですけども。
今日だって、まだあまりお話もしたこともない先生に、研究室の通りがかりに「せんせいーっ」と大きく手を振ってご挨拶したら気持ちのよい笑顔で手を振って下さった、そんなことなど嬉しいです。外に出かけて誰かに会う、いっしょに本を読んだりできる機会に恵まれること、それができることなどしあわせですが、体力の問題はいつもありますね。
「疲れがたまってしまうのをどうにかするようにしていかなあかんね」「無理しすぎんように」と先月から処方していただいていたカンポウはこっくり甘くて苦い。「無理しないように」ではなくて「しすぎないように」というのはいい言葉だな、などと先生の言葉をもそもそ反芻しながらずるずる暮らしていた私は、具合が悪かったようです。食べられなくてもカンポウさえ飲めていたらいいや、そう思いながら先生が調整してくださるカンポウをすすって暮らした時期もありましたっけ。
栄養されています。植物のように水や肥料をいれていただいている感じがします。

いつだったか、人間概念にこだわりすぎる、と言われて、そうかもしれない、と思ったことがありました。
植物だって動物だって物だって人間だっていいのさ。人格だって動物格だってロボットだっていいのさ。
かつてのその人でなくとも、いまのその人がいいのさ。
どのような生であれ美しいさ。
そうしてむはっと笑いたいもんですね。

「書くこと」について メモ

マーティン・ジェイ『暴力の屈折 記憶と視覚の力学』谷徹/谷優訳、岩波書店、2004年
第三章「ホロコーストはいつ終わったのか? ―歴史的客観性について」より抜粋(56頁-58頁)

…過去の世代の経験を取り戻し、その人々の物語が忘却の淵に沈むことのないようにしたいという欲求こそが、歴史を書くことへと駆り立てる最も切実な要請のひとつである、という主張がしばしばなされる。構造や傾向や出来事や言説を吟味する代わりに、歴史家は、非個人的に見える構造や出来事を作り出した人物が感じていた経験―意味と価値に満ちた経験―に立ち戻るべきだ、と促す主張である。当の人物が不正の犠牲者であったとみなされれば、彼らに声を与えることでその苦しみの埋め合わせをしたい、という欲求がいっそう強くなる。ここで吟味している事例では、ひとつの抽象的で包括的な人種カテゴリーを、そっくりそのままこの世から抹殺しようとする計画のなかで、その犠牲者たちをを顔のない統計データに変えてしまったナチスの行為に対して、断じてそのままで終わらせたくない、という欲求が強力に働くのは確かである。ワルシャワゲットーのラビであったイザック・ニッセンボイムが「生の神聖化」と名づけたもの―つまり、極度に悲惨な状況下でも何とかユダヤ人として意味のある生き方ができた事例―を記憶にとどめ、それに敬意を払うという仕方で、この欲求はしばしば表現される。……

…(中略)…

 正確に言って、過去の経験をどのようにして取り戻すことができるのかというのは、もちろん、著しく困難な問題である。特に、ヴィルヘルム・ディルタイやR・G・コリングウッドのような理論家たちが提唱した「追経験〔=追体験〕」や「追遂行」という技法が最近のように疑問視されるようになると、いっそうのことである。最良の条件がそろったとしても―つまり、われわれより前に生きた人々の日常生活にかんして比較的綿密な記録と個人的回想が手元にあるとしても―、彼らの経験について客観的にみなされるような記述を組み立てるのは、けっして容易なことではない。それには、かならず相当に想像力を使った再構築を施すことになるし、過去の経験と現在の経験の隔たりをどのように橋渡しすべきかという難問に出会うことにもなる。この隔たりというのは、今の現実を過去に不当に当てはめてしまうのを防ぐ手だてとして歴史的差異というものを真剣に考えるかぎり、ひとつの避けがたい問題である。……

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西成彦『エクストラテリトリアル 移動文学論2』作品社、2008年
「二○世紀文学とマイノリティの言語―あとがきに代えて」より抜粋(初出:「発信するマイノリティー、いらだつマジョリティー」in『20世紀の定義④越境と難民の世紀』、岩波書店、2001年)

 いつの世にあっても存在は発信しつづけている。生きている人間に限らない。動植物であっても死者であっても発信はしているのである。それがなかなかマジョリティの耳に届かない。私たち=マジョリティの心を動かすまでには至らないのである。だからこそ、マイノリティにはいつでもマジョリティよりもいっそう多く語ることが要請される。
 いつの世にあっても存在は発信しつづけるが、マジョリティよりもマイノリティの方がより多く語らされる。しかも、それでも、それはたいていの場合、雑音(破壊的音楽)として聴かれるだけなのである。……(324頁)

 死んでいった存在の最後のひとことを耳にしてしまったものの不幸。そこからすべての道徳的な問いははじまるのだ。……(326頁)

『変身』のカフカは、マイノリティになること、自分の言語をマジョリティが聴き届けてくれなくなることの孤独を描こうとしている。……
三人称小説として書かれた『変身』の中では、話者が特権的な位置にいる。話者は人間の言葉ばかりでなく、「動物の声」をも言語として理解する。聴いてわかるだけではなく、その内面をまで見透かすように再現してみせる。この話者は超越した位置に立っているのである。したがって私たち読者はこの語りを信じないわけには行かないのだが、じつに不可解なぐらいの特殊能力を話者ひとりが独占している。
 しかし、この話者とはいったい何者なのか?
「変身」がいかなる経験であるのかを、私たちはそう簡単に追体験可能なのだろうか?
話者はこんな疑問を差し挟む余地すら私たちに与えようとはしないのだが、だからこそ、私たちはこの特権性を疑ってかからなければならない。
 グレーゴルは、最初は、家族から過剰なまでに保護されるが、しだいに「彼」ではなく「それ」と呼ばれるところまで落ちていく。いわゆるモノ扱いだ。
 しかし、グレーゴルがモノではないと思わせているのは、話者の思い入れにすぎないのだとしたら?
 グレーゴルは、ひょっとしたら、ほんとうの「動物」への道を歩みながら、「動物の声」をすら喪失していった可能性だってある。そもそも「変身」とはそういうことではないだろうか。
 だとすると、一方でモノ扱いをされながら、他方ではただの「生ける屍」にすぎないグレーゴルを、それでも言語的な存在として捏造していく擬人法の執行人としての話者に、私たちはもっと注目すべきではないか。
 マイノリティは、マジョリティによって黙殺される可能性との戦いを強いられるばかりでなく、マジョリティによって自己流に解釈されかねない危険性との戦いをまた強いられる存在のことである。……
 再現不能でしかないものを敢えて再現してしまうという暴挙がもたらす不幸―『変身』が描いているのはそれだったのではないだろうか。(328頁-329頁)

 死者について書くというだけなら、ひとは生きている読者だけを配慮しておけばいいだろう。しかし、死者と共に、その傍らで書こうというとき、あるいは語ろうというとき、ひとはその言葉をも死者によっても聞かれうるものとして想定しておかなければならない。「嘉する」のも死者だし、「拒む」のも死者である。死者は私たちの語った言葉を、はたして聴き届けてくれるのか、くれないのか?私たちには確かめようがない。それでも「嘉する」かも「拒む」かもしれない聴衆として死者たちが混じっているということ。死者と共に、その傍らで書くということは、そういうことだ。「遺言執行人」とはいっても、誰が「作家」をそう指名したわけではない、自称「遺言執行人」としての「作家」。(332頁)

 マイノリティの声は、マイノリティの言語に語らせればよい、彼ら彼女らの語りの技術を磨かせればよいと、もし考えている私たち(=マジョリティ)がどこかにいたとしたら、それは大きな間違いである。奴隷船の底荷やアウシュヴィッツのボロ布の言語を聴き分けられるだけの言語能力と精神の強靭さをいったい誰が有するというのか?
 だから、仮に『変身』におけるカフカのように、話者を一人立てて、その話者に偽証の疑いを負わせてでも、マイノリティの「爆発しそうな切実さ」は誰しもに分かたれなければならない。
 そして作家・詩人はマイノリティの悲鳴を、悪意を持った形で、翻案し、置き換える。表象作用以外の何がしかの言語効果を用いながら。(334頁)

 言語の消耗。それは語りながら擦り減っていく存在のパフォーマンスであると同時に、耳を傾けるものに対してもまた消耗を強いる言葉の濫用である。
 私たちは死んでいくものの疲労についてなら想像が及ぶが、そのはてしない消耗には、読む側の消耗なしにはつきあっていけない。
 しかし、マイノリティとしての死者が発信する言葉とは、消耗の言語に他ならないのではないか。……
 私たちはいつのまにか死者は静かに死んでいくものだと思いこむようになっている。しかし、これは生きているマジョリティの独断と偏見にすぎないのではないだろうか。マイノリティの言葉を遮断して生きて行こうという衛生学がはたらいて、私たちは死者に猿轡をかけてしまっているだけではないのか。(336頁-337頁)

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およそ十年前に書かれたもの。
当時の歴史家論争や物語論など、その時どんなであったかその後どうなっているのか、知らないなあ。


それにしてもグレーゴル。私はてっきりグレゴオルだと思っていました。けっこう大事なところです。
バーサ=アントワネットなのか、バーサ=アントワネッタなのか。

むかし英国人の先生に「メキシコ」と話したら、メキシコじゃないよ、4シラブルでなくて3シラブル。日本人はチョコレイがチョコレイトになるんだよねー。なんて言われて言い直しそれでも言えずめんどうになって「メヒコ」と言ったらば、もうそれはスペイン語、なんて苦笑いされたことがありました。
もう、君のことなんて誰も理解しないよ、cheerfulでcomplexでalways wavingなんだから。なんてとても素敵な理解を示してくれた先生でしたが、おしゃべりしていると先生もゆらゆら揺れていたのは、私の身振りがうつっていたからなのでしょうか。

以前ある先生の診察でお話をしているときに、先生がうねうねされていてなんだかな、と思ったことがありましたが、私の身振りがうつっていた、あるいは診療の方法論として真似をされていたのかもしれません。
いやいや痛みにもがいているだけですがなー。それは難しいところではありますがなー。
どうやら真似だけで完結されているらしいのがなんだかな、なんて思えたりしています。
身振りを真似てみたところで、他人の痛みはワカランかもしれない、それがワカラン。
そのとき先生と同じ身振りで話していることになる私には先生の痛みがワカランのか、それがワカランのであるなら。

四月は

April is the cruelest month, breeding  四月は残酷な月 傷口が開く
Lilacs out of the dead land, mixing   死者の国を混ぜかえし ライラックが咲く
Memory and desire, stirring       記憶は渇望とめぐりくるい
Dull roots with spring rain.      動かぬ根を 春の雨が降りしだく

エリオットの「荒地」 The Waste Landより。
私が訳すると妙な感じになりますです。

葬式へ行ってきた、そう言って息をつかれた恩師に、
そうですか、と息をついて言ったのは、まだ花もほころびはじめのころ。
この数日ですっかり花ざかり。
桜はふさふさと白いばかり、ざわざわ胸がそよぎます。

通院先は花ざかり。
ここの土地の風はしっとりおもく土や水の香りも濃密で、私には強い。
長く通っている病院ですが、はじめて診ていただく先生に構えができてしまっていました。
ひとこと言われて、声を落としてひとこと話し、そして言われたひとことが、ととんと耳底を打ちました。
ほんのひとことで、私が息をつく場所を踏みしめ整えてもらえたのがわかる。
引き受けるとか受け止めるとかではなくて、すでに容れられている。
痛みがと口にしたとき、患者の安楽をみられているのがわかる。
ちいさく息をつきました。
それにしても、にぎやかな感じがしていたのが不思議です。
先生の患者さんたちのざわめき、苦しみや喜び、くちぐちに言ってこられた先生への小言や労わりや感謝のざわめきに、触れたのかもしれません。
にぎやかなのもいい。
今年も四月がはじまります。

げんてんかいき

小熊英二「神話をこわす知 歴史研究のモラルとは?」
『知のモラル』小林康夫船曳建夫編、東京大学出版会、1996年より抜粋(83項‐85頁)

神話をつくる知とこわす知

 そもそも、「神話」とは何でしょうか。それは、現代の自分たちの確信やアイデンティティを強めるようにつくられた歴史像であり、世界観だと私は思います。
 先に挙げた戦前の学者たちは、「わが民族は、古代においてこういう政策をしてきた。だから現代でも同じようにできるし、またしなければならない」といった語り方をしていました。こうしたものは、現在でもよくみられるものです。しかしこれは、煎じつめていえば、現代の必要から歴史観をつくり、その歴史観で現代を正当化するというものにすぎません。もし彼らに、自分がどのような時代の空気のなかで歴史を書いているのかの自覚があれば、ここまで単純なトートロジーにはまりこまずにすんだはずです。
 そしてこの問題をかつての自分に投げ返していえば、私自身が時代の空気を反映して、「戦前の日本は単一民族神話にとらわれていた」という神話をもっていたことになります。私は、単一民族神話にとらわれている明治いらいの日本を問い直す、という意気込みで研究をはじめたのですが、最終的に問い直されたのは、現代に生きる自分自身の神話でした。そしてその神話を解体する過程で、私は現代をちがった角度からつかみなおすことになったのです。
 ある神話を解体する過程で、自分の神話に気づく。これができたことは、私にとって幸運であったと思います。そして、自分や自分の党派だけは神話を知っていて、他の人びとはすべて神話にとらわれているなどということは、まずありえないことです。自分が神話をもっていることに自覚を欠いていると、じつは自分の神話でほかの神話を攻撃しているだけとなります。昨日までの革命家があっというまに新国家のエスタブリッシュメントになってしまうように、ひとつの神話を攻撃した努力じたいが、固定化してあらたな神話になるでしょう。私のやった研究だって、「単一民族神話は戦後のもので、戦前はちがった」という表面的な結論だけが単純化されてくりかえされていけば、やがては神話としてあつかわれる日がくるはずです。
 自分が神話をもっていることに自覚的でない人は、傲慢になりがちなものです。自分の神話をふりまわしたいために、たたいても安全そうな相手を断罪したり、アウトローを気どりながら「戦後民主主義の神話」や「東京裁判史の神話」などを嘲笑する(嘲笑はまじめな批判とは別ものです)人がいますが、そうした行為には私はとても共鳴できません。そして一方で皮肉なことに、神話の担い手はこうした傲慢な強者ばかりではありません。神話はつらい日常を生きるうえで確信と慰めを与えてくれるものですから、民族主義の支持層がしばしば社会のなかで下積みの人びとであるように、弱く希望のもてない人はそれに頼りがちなのです。こうした神話が好ましくないとしても、弱者がよりどころにしている神話をただ頭ごなしに裁いて打ち壊すだけで事足れりとしてよいかといえば、私はいささか躊躇せざるを得ません。自分が神になって人を裁きたい強者と、神に救いをもとめたい弱者、このどちらの人びとも神話の担い手であるといえましょう。
 私は、人間が不完全なものである以上、神話をまったくもたないことは不可能だと思います。しかし、では人間は神話から逃れられず、たがいのそれをぶつけあう以外の関係をもてないのかといえば、私はそうは思いません。人間は神話から無縁になることはできなくとも、自分の神話を自覚し、相対化することはできます。その自覚があらたな神話になってしまうまでの一瞬、私たちは神話から自由になり、ぶつけあっていたたがいの神話の殻のすきまから、相手にむかって開かれることができるのではないでしょうか。大切なのは、その一瞬の新鮮さを忘れずに、外界と対話し、時には相手の神話の主張にたいして謙虚になって、自覚の過程をくりかえし続けることではないでしょうか。

…(中略)…
 この稿で述べてきたのは、最初から最後まで、たったひとつのことです。私は、知には2種類あると考えます。ひとつは、人びとに答えと確信を与え、敵を指し示し、特定の方向に導く神話をつくる知。そしてもうひとつは、問いを発し、立ち止まりながら対話をはかり、神話をこわす知。どちらが世の中で求められているかは、いちがいには言えません。対話よりも、まずは闘わねばならないのだという立場も、十分にありうるからです。しかし私は、神話をこわす知を選びたいと思います。そしてこわす対象は、何よりもまず自分自身の神話、より正確にいえば自分という媒体をとおしてあらわれたこの現代社会の神話です。神託として答えを提示するよりも、過去や対抗相手を裁くよりも、まず自分自身が打ち壊され、迷い、考え続けるその過程を示すことで、世界へ開かれる可能性を見せること。それが、いくたの神話が希望と悲劇をまきちらして滅んでいった近現代の苦い経験をうけつぎながら、なお知を行使しようとする者のモラルのひとつのあり方だと私は思うのです。…

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寒風吹きすさぶ荒地からもどってきた文学のひとにムーミンのついでを聞きました。
そのあたりの創世神話からいえば巨人族のなりそこないがトロールトロールは暗く忌まわしい感じで橋の下なんかにいる。ちいさくて地中に住んでいる妖精とは別物。
ムーミンは完全をめざせば巨人族。でもそんなムーミンは見たくないんですなー。
原作とは異なって大衆化したムーミン世界が牧歌的に暴力的なのは、私たちの世界の投影だからなのでしょうなー。

ごめんなさいこの子アジア人を見るのが初めてで、なんて言われたことがありました。
むかしのその地の侵略者が「人間を吊るす木もなければ掘り込む窪地も沈める水もない」と言ったとか言われているような荒地でのことでした。
母親にまとわりつきながら私を見つめてくる女の子に、にんまりオリエンタルな笑顔を返しておきましたが、さぞかし妖怪のように見えていたことでしょう。ここは妖怪も妖精もごろごろ住まう土地だから、というのは私の神話なのですが。

神話にしたがって振る舞えば、その一瞬は安全ではあります。
理解不能な不気味な他者であるよりは。あなたにも、わたしにも。
けれどもそれは神話の暴力そのままをなぞって生きること。

対話がのぞめず、対話をのぞまず、ムーミンづらで生き延びる。
けれども、みずからのムーミンぶりがどんなだか、だれにどのようなムーミンづらをさせているのか。
とてもきほんてきなところだとおもいます。