ケア3題

その1 ぶんしんの術

望・聞・問・切の四診が東洋医学の診断の基本らしいのですが
そのなかでの聞診は患者の「音声、言語、呼吸器、臭い」を医師が聴いたり嗅いだりして診ていくことを言うようです。
患者さんの声の張りや話しぶり、息づかい、におい。

診療で患者を聞くとはナンダロウ。
話を聞くとはナンダロウ。声を聞くとはナンダロウ。
そもそも聞くとはナンダロウ。

客観は主観のスペクトラムのうち、などとどこかで習ったように思うのですが、
およそ医学のサイエンスは確率過程の話、そこで何らかの「これ」という基準があるらしい。
そんなメディスンにおいて「聞く」とは何か、そこで何が為されているのか、長年の経験だとか相性だとか直感といった言葉で語られがちな「これ」という感覚がサイエンスとしてあまり研究もなされていないように思えるのですが(ワタシが知らないだけなのでしょうかな)、どうなのでしょう。
わたしたちの日常にサイエンスは追いつくことがないのだとしても、そんな感じがします。

望は見る、聞は聞く・嗅ぐ、問は問う、切は触る。
その四診をもって聞く、そんなロボットがつくれたらすごいな。


その2 こぶらがえるの心

まだ梅雨だった季節のしばらくぶりの治療の際に「こむらがえりのような」と言われて「こむら」と唱えたら
先生がふっと笑って「いいえこむらというのはふくらはぎの一部の名前なんですけどもね」などとおかしそうにおっしゃるので
私も診療台に横たわったままふふふふふっと笑ってしまいました。腹筋ひくひく。

もうずいぶん以前の話になりますが。
かつての通院先の診察で「こむらがえりのような感じですか」と尋ねられ「こむら?」と聞き返してしまったことがありました。
「ひっさつコブラがえり」みたいな無理なワザでもあるのだろうかとまわらないアタマで懸命に考えはじめた私に
「水泳を長時間していて足が攣ることがあるだろう」などと具体的な例示を足してくださった先生は的確で教え上手。
泳ぐことができて泳いだことがある、そして足が攣ったこともある、そんな生活の経験からの理解。
そうして私は「こむらがえり」という言葉を学びました。

いつだったか記入した問診表の設問のうち、いまだにわからないのが「千枚通しを通される」「きりを揉みこまれる」だったか。「拷問のような」というのもいまいちわからない。

どんな目的で何を知ろうと意図しての設問なのか、患者のワシにはわからない。
何をデータとするのか何のためのデータなのか、患者のワシにはわからない。
質問のなされよう聞き取りのありようから目の前の医療者が取りつつある像をできうるかぎりリフレクシヴに理解しようと努めながら
治療の文脈において私は患者となっていく。

アンケートによる調査では、設問を読ませて答えさせることで教育や啓蒙活動ができる、アンケートの行為そのものが調査対象者に影響を及ぼす…などとむかし授業でちらりと習ったおぼえがありますが。
問診は患者に語彙を与え、概念を学習させる機会でもある。

「今の痛みは10分の3」などと患者さんが話しているのを聞くと
ああ、あの定規みたいなのね…などと「痛みスケール」を想いうかべて理解するのですが。
いつからか「10分の3の痛み」の表現を暮らして生きている。

「こむらがえり」という言葉を耳にすると、かつての主治医の先生を想い出します。そしてふっと笑います。
どこで出会った言葉なのだろう、だれが使っていた言葉、どのようにして私が話すようになった言葉なのだろう。
私がもとから持っていた言葉なんてないのだから。


その3 いやじゃの法

こんなのだから着られる服が限られてもう、アウトオブファッション!になってしまっていやだわ、
外へ出かけるのもおっくうになって、気が滅入ってしまっていやになっちゃうわ、もう、いやだわよ!
…などと病院でおとなりに座っていらした患者さんが話しかけてこられたことがありました。
浅い息をしていた私でしたが、とてもチャーミングなマダムのおはなしにすっかり楽しくなって顔をほとんど覆っていたマスクの内側でむふむふ笑っていました。

身体の感覚がしっかりしていて食べる着る住まう遊ぶの日々の暮らしがしっかり楽しい。
だから病気になってしたいことができなくていやじゃー。不自由があるのがいやじゃー。いやじゃー。いやなのじゃー。あたりまえのことじゃー。

どうしたって美味しくないものは美味しくない。
美味しくないものを美味しくないー!とあれこれ言いながらいただくのも楽しかったりします。
「患者さんの欲を引きだすのが支援」なのだとエンジニアのおじさまが教えてくださった言葉がいつも思われます。

ウイロウ翻訳

見えないとわかるのは、見えていたものがあったから。
見られているとわかるのは、見られていなかったことがあるから。
伝わらないと感じるのは、かつてだれかと伝わりあっていたから。
伝わっていると思うのは、いつかどこかで伝わりあえずにいたから。
認識というのはそんなものではないのでしょうか。

だれそれの翻訳はウイロウの美味しくないのをひたすらモガモガ食べさせられるみたいでどうにもと
知り合いたての文学のひとに話したところ、すんなり受け取られ勘所をついた表現で応じられ、
やはり文学のひとは言葉のひと、よく通じるやと思いきや、
このぐらいはマツモトヒトシをよく観るので対応できる、などと
礼儀正しく言われてしまったことがありました。ちーん。

かつての通院先で、ちり紙で腕を撫でられたことがありました。
緊張した面持ちの先生がおもむろにティッシュペイパーを一枚とられて一方をよじり、
私の腕にすーっと這わせていかれたのですが、
私は何をお答えすればよいものかわからないまま、およそ感想を求められているのだろうと「皮一枚むこうの感じ」と言ってみたのでした。
先生が動じられ、動じながらも変わらぬ眼光をやどしたままのまなざしで、ひりひりしているのかと確認され、
私はそうだと答えつつも、表面はひりひり(過敏)だけれどもぶあつく一枚隔てられている感じ(鈍麻)も同時にあるかもしれない、などとみずから発した言葉を解釈しながら思ったり。
その後に続けられたいくつかの質問に対しても、自覚症状として患者が語る、私の知覚についての的確な情報は伝達できなかったのかもしれません。
けれども、だからといって何なのか。

とまどいが起こるまえに、すでに支えられていました。
問いかけが生まれながらもう応えられている。言葉になるまえの声が聴かれている。
私には見えていない何かが見られている。
見ようとしなくとも見たくなくても見てしまう、見えてしまう。倫理的なまでに。

それからの悪化、回復、変動、長患いとなればなるほど、そのときを想い出しては背中がしみました。
そのとき、それからも支えられてきましたし、いまもこのさきも慰められる。

経過が長くなるにつれ、息は浅くちいさくなり、世界は痛みと呼吸だけになる。
眠るための体力も尽きてくる。もがくこともしなくなる。
痛いと感じることが面倒、痛みのなかでぽかりと目を開けている。
すこしばかり呼吸が楽にできると、いまの世界が変わる。
いまがすこしでも楽に過ごせることで、いまの生活ができる。
いまの休息が今日の体力、明日の体力になり、明日の生活がうまれる。
そんな患者を知っている、医療者の身体。

意志をもつよりも0.5秒先に行為はすでに開始されているのなら
手を伸ばそうと意図するよりも以前に手はすでにいつも出されていて
そこに身体を持っているだけでもう何かが為され始めている。

先生に呼ばれて患者さんの目がひたりとゆるむのを、先生の姿を見つけてふっと息をもらすのを、わたしも同じ目をしている、と思いながら見ていたことがありました。
先生の処置はとても丁寧で行き届くと患者さんがゆるゆると話しながら息をつくのを、わたしも息をつきながら聞いていたことがありました。
そんな医師と患者を冷静に時折はしらじらとごらんになっていた看護師さんが好ましかったです。

あいだがらのあいだ

酒井直樹『日本思想という問題 翻訳と主体』岩波書店、1997年
「3 西洋への回帰/東洋への回帰 ―和辻哲郎人間学天皇制―」より抜粋(118頁-119頁)
(初出:『思想』1990年11月号、岩波書店。Boundary 2,vol.18,no.3,1991)

 ハイデッガーの現存在の分析とは対照的に和辻の倫理学は人間の社会性を重視していると、しばしば言われてきた。私はこうした和辻倫理学の評価には全く賛成できない。和辻の人間学に徹底的に欠如しているのは社会性への配慮なのである。常識の言葉としても社会性は間柄以上のものを指示している。例えば親子・師弟などの既存の間柄のなかだけでうまくやってゆけるひとを私達は社会性のあるひとと呼ばない。社会性はそのような間柄に保証された「信頼」から離れ、「社会に出て」「赤の他人」との間に新しい社会関係を作る能力としても了解されているのではないだろうか。だから、このことを喩えを用いて要約すれば社会性はすでに身に付いた言語を私達は話し聞く能力をもつことよりも、未知の言語を私達は習得する能力をもつという事態によって示唆される何かである(もちろん窮極的には、習得された言語と習得しつつある言語は区別し得ないように思える)。

…(中略)…
「信頼は人間関係の上に立っている」という和辻の主張は、あらゆる社会関係に織り込まれた投機を必要とする非決定性を徹底的に見まいとする主張である。しかし、夫と妻という永続的な間柄においても非決定性の可能性は必ず残る。しかも、この非決定性は単なる「個人的衝動」、全体性に背反すること、つまり「我がまま」としての個別性として起るのではない。基本的にはエマニュエル・レヴィナスの言う「他者の超越」としてあらゆる間柄のなかに非決定性は織り込まれているのだ。だから間柄における非決定性の抑圧は実は他者の他者性の拒絶、そして他者への尊敬の拒絶、つまる所、社会性そのものの拒絶を引き起さざるを得ないのである。私の妻は間柄では妻であることが「分っている」にもかかわらず、彼女は単に「妻である」ことはできない。多くの間柄を加えても同じである。妻は同時に消費者であるから魚屋との間柄では「買い手」であり、子供の学校の教師との間柄では「父兄」、働いている会社の若手社員に対しては「上司」であるといった具合に間柄の数を加えてゆけば、彼女はより多くの実践的行為的連関のなかに入ってゆくだろう。しかし、どんなに多くの述語を加えたところで主語=主体として彼女を規定し尽すことはできない。彼女は主語=主体に対する余剰を必ずもっているから、彼女を主体に合一化させることはできないはずだ。そして、彼女をこうした主語=主体に同一化できないからこそ、彼女と私の間には社会性があり得る。同じことが私の私に対する間柄についても言えるはずであろう。すなわち、私と私の関係は全体と個の二重構造に還元できない余剰をもつ。だから私は決して同一性にはならないのである。私は分別できない統一体ではなく、無数の分裂と過剰を含んだ存在なのである。私はひとつの非分割性(individual)ではないのだ。

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シュタイは死体とサカイナオキが書いてた、などと最近ふえたオトウトに言ったものの(お勉強つながりの集団力学は家族制をとるようです)ハテハテどこに記述がありましたかいなと文献をひっくり返しましたが、見当たらない。私の解釈だったようです。すまないオトウト。読んでいないのだとしたら、私はいつどこでそのように解釈したのでしょうか。うーぬ。

「未知の言語を私達は習得する能力をもつという事態によって示唆される何か」という社会性。
地域によってお茶の出しかたも違う、そこへ行って過ごしてみないとわからない、と聞きました。
挨拶のしかた、身体の置きかた、気づかいの示しかたも言語。
病院によって患者さん同士のご挨拶のお作法も異なるように思います。
土地柄、地域性があるのかもしれませんな。

ケアをするとき・ケアをうけるとき、というのは、未知の言語を習得するときなのかもしれません。
あたらしい出会いでもあれば、それまでの間柄では見ることのなかったそのひとを見る、じぶんを見る、そんな機会なのかもしれません。
未知の言語ではなくて、既に知っているのだけれど使ってこなかった言語、いまもそうと知らずに使っている言語だってたくさんあるのかもしれませんけどな。

ばるたんタロウ

七月です。
先月後半は梅雨らしい雨にめぐまれ痺れました。ぴきぴきびりびりじんじん。
くもりのち雨、雨ときどきエイリアンの季節。

眠っていて身体がぴきぴき攣れていくことがありますが
ぴきぴきぴきぴき手からエイリアンになっていく、そんな感覚をおぼえます。
バルタンさんたちのようなスマートな美男子(性別?)ではなくて、近未来ホラー映画でシャーとか言ってるエイリアンにヘンシン。
でもまあ、変身しきらない。およそ教科書のイラスト通りの変形譚ではありますし、痛みや痺れは苦しいですしぐったり疲れますけども。
固まらないよう治療を受けて、ほぐれてはまた固まる、その繰り返し。

目を閉じると反復のうちに彫りこまれた残像がシャーと言っているのですが。
もう長いあいだ治療をしていただいている先生の手、そのときの治療の痛みの感覚もおなじ場所にあります。
診察でぼんやり手を眺めていたら先生にほわりとかけられた言葉、見せあった腕、この手に触れた手の記憶も、おなじ場所にともにある。

君だけじゃあないんだぜ、君のほかにも重みのついた学習回路がいろいろいてるんだぜ…などと
シャーに言い聞かせていたらもっと遠慮していってくれるんじゃないかと思っているのですが。
それでも、シャーとともに眠り、シャーとともに目覚めます。
シャーは私のポテンシャル、潜勢力ともいうのでしょうか。

リスク・マネジメントと言ってしまうと防災感覚になりますが、
私の内なる自然はシャーなる自然なのですかな。
シャーになってもならなくとも、また別の何かになることになっても、
どうなっていっても自然といえば自然。

身体がどんなかたちになり、どのような表現をとっていくのか。
どんな手があり、どんな言葉があるか。
誰といっしょにいるか、なのかもしれませんな。

シャーになってもそのときはそのとき、君が嫌いってわけでもないんだ。
そう自然に思えるぐらいが望ましいように思われます。

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バルタンは着ぐるみのハサミが重いからあんな身ぶりなんだ、なんて説があるそうです。
わたしも自然にバルタン身ぶりをとっている時があるので納得しましたが、腕が重い、外して担いで歩きたい、などとはバルタンさんは思われることはないでしょうな。ワレワレのクールなハサミとは異なるのである。

「ワレワレの身体は歴史的身体である、手を有つのみならず、言語を有つ(※1)」
…などとバルタン・アクセントで話してみると素敵。

「ワレワレが歴史的身体的に働くといふことは、自己が歴史的世界の中に没入することであるが、而もそれが表現的世界の自己限定たる限り、ワレワレが行為する、働くと云ひ得るのである(※2)」

「環境がワレワレの死し行く所であり生れ出る所である時、即ちそれが世界である時、生命の独立性がある。そこに生命の具体的実在性がある。ゆえに具体的生命は歴史的であり、社会的である。生物種は民族となり、ゲマインシャフトとなる。ワレワレに対するものは、客観的表現の世界として民族的であり、社会的である、更に理性的として客観精神的である。ゆえに私は世界の底に、私と汝とが相逢ふといふことによつて、歴史的社会が成立すると云ふのである。環境即世界なる実在界は個物の相互限定の世界でなければならぬからである(※3)」

…バルタンさんに夢枕に立ってもらってニシダなど朗読していただけると学習が進みそうです。
でも「ワレワレはニシダを好まないのである」「ワレワレはサルトルが好みである」なんて言われそうです。なぜサルトルなのかしらぬ。

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※ 西田幾多郎 哲学論文集第ニ「論理と生命」、西田幾多郎全集第八巻、岩波書店、1965年
(←初出:『思想』第170,171,172号 昭和11年7,8,9月)より
※1および2 324頁-325頁より抜粋
※3 288頁-289頁より抜粋
旧字体新字体へ変更。また「我々」→「ワレワレ」へ変更)

身ぶりとじかん、そしてストーリーについて

像といえばわたくし、このところはもっぱら「ラオコオン像」をごろりと想い浮かべます(像といってもイマージュとしての形象ではなくて彫像ですけども)。

トロイの木馬を疑わしいと思ってしまったラオコオンさんが「ええい邪魔をするでない、おまえたちオダマリ」などとお怒りになったアテナさんのおつかいで海からあがってきた蛇さんたちにご家族ともども絞めあげられてしまう、そんな神話のおはなしの解説付きで見るからかどうなのか、像である皆さんの表情や筋骨の具合などたいへん痛そう苦しそうなのですが。

その瞬間を永遠に絞められつづけるラオコオンさんたちには「いたたたた」「あがががが」とか言えるような時間はあるのかないのかハテハテホウ、そんな議論がムカシからあるようです。

時は流れるけれども、時間が流れるというのはどうか、時間というのは時のあいだ…などとお話しされていたある先生のお声の響きを想いながら(『存在と時間』ならぬ『有と時』ですな)、
「あ」とも「が」とも言い終えることがなく認識可能な音とならない、時間とならないその瞬間が像となっているのであるならば、そんな瞬間には痛みがあるのかないのかハテハテホウ、原印象の把持などないではないのかハテハテホウ…などと思ってしまったりしています。

腕の一部がない状態で発掘されたラオコオンさんのその腕がどんな身ぶりだったのか、議論のうえで復元した腕を付けたり付け替えたりされているそうですが。

…じつのところは神話じゃないぜ、にょろ〜ん♪むぎゅ〜ん♪などと竜宮城で歌い踊ってるんだぜ、なんてストーリーを読もうとおもえば読めてしまうのかもしれません。そのほか「三人がかりでヘビの長さを測ろうとしたんです」「大蛇で大縄跳びがしてみたかったんです」「ごく単純にラオコオン対アナコンダ」「伝統的ウミヘビ漁をしています」などと読んでしまえるストーリー(いや御免なさい)すべてに即した腕を付けねばならぬことになったならばたいへんですが、「まとめて千手で表現しちゃいましょうか」なんてことには決してならないのは、それは人体に忠実なヘレニズム(←そんな問題ではないですね)。「面の皮が光って」が誤訳されて「角が生えて」となっていたために聖書に忠実にアタマから角を生やしているミケランジェロのモーゼ像のお話など想い起こされます。

ストーリーを読むというのは、その行為の目的と、行為においてもたらされる働きこそが要であるのであって、
そして読み込むワタシはどのようでワタシの功利や目的はどんなだか、
誰と誰が誰に向かって、どのような目的で…などの限定の自覚が倫理としてひつような時と場合がありますな。

なんだか妙な像をごろごろ作りあげてしまいました。
そういえばむかし「バルタンセイジンはサバルタン♪」とか言ってたねえ…などとおしゃべりしていたせいでしょうか。
「誰が誰に向けて語っているのか」なんてカルスタ・ポスコロな物言いもその当時の流行として流していましたが、現在においてとても実戦的、効力がある言葉だったりしています。

身ぶりのおんがく

三原弟平『カフカ・エッセイ カフカをめぐる七つの試み』平凡社、1990年より抜粋(234頁-236頁)

カフカの「非音楽性」

〈眼の人間〉〈耳の人間〉というふうな言い方はいつ始まったのだろう。ドイツの文化圏でそうした考え方が広まるにあたっては、ゲーテあたりにその元凶があるのかもしれないが、カフカは自分を「眼の人間」だと思っていた。あまりにも「視覚的」な素質であると。のみならず、音楽の才能がないことを自他ともに認め、吹聴していた。…(中略)…

 このようにカフカは音楽からは完全に締め出されている自分を感じていたようだが、音や音楽への道は、しかしカフカの作品においては決して閉ざされていない。…(中略)…すべては音であり音楽である。音楽に対し拒絶されている自分を感じるゆえにか、カフカは音楽の探求を、いわゆる〈音楽好き〉には思いもおよばぬ方向にまでおしすすめる。
 たとえば、最初にあげたあの〈眼の人間〉〈耳の人間〉といったふうな考え方を無効にしてしまうような〈音楽〉に対するとらえ方を、『ある犬の研究』においてカフカは示している。この物語(?)の語り手である「ある犬」は、少年のころ突然七匹の音楽犬に出会ったことから、その生涯の回想を語り始めるのだが、その七匹の犬たちは「話をするのでもなく、詩をうたうのでもない、そろいもそろって苦虫をかみつぶしたように深い沈黙をまもっている。が、その大きな沈黙の中から、まるで魔法のように音楽を浮かびあがらせたのである。すべてが音楽であった、足のあげ下し、頭のふり向けぐあい、走ったり、休んだり……」。
 つまりこの「ある犬」は、七匹の犬たちの一挙手一投足の身振り(Geste)に、あまりにも大きく鳴り響いている音楽を聞きとったのである。
 以下に述べることは、このこととどれだけ通じているのかわからないが、筆者は最近この<身ぶり>と<音楽>のことでおもしろい体験をすることがあった。…(中略)…
 しかし、何度か繰り返しこのビデオを見ているうちににある発見をすることになった。…(中略)…消音にしてビデオを見たのである。するとこのほうがはるかにおもしろいのだ。…(中略)…
 というのも、どうやら自分は、あのコマの動きやキートンの身ぶりの中に流れている、カール・デイヴィスの音楽よりはるか精妙で、はるかに豊かな〈音楽〉を聞いていたらしいのである。われわれは普通は意識はしていないが、実は眼と耳に分化する以前のものとして、こうした〈身ぶり〉を強烈に体験しているようなのだ。カフカは、少なくともその作品においては、音楽をそうした次元の〈音楽〉にまでおしすすめている。自分の書くものは形象(Bild)にすぎないというカフカに、「しかし形象の前提には見ること(sehen)があります」とヤノーホは言う。するとカフカは、「私の書く物語は一種肉眼を閉じることだ」と言ったことがあるが、この言い方を借りるなら、カフカの〈音楽〉とは、「一種耳の穴を閉ざすこと」と言えるのかもしれない。〈音楽〉は、カフカにあっては単に音楽ではないのである。……

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「無音即興60分」のダンスを何度か観たことがありました。
足音、息づかい、床の軋み、空気の揺れ。
観ていることをときおり忘れて、眺めている。

目を閉じないこと。
そのダンサーのワークショップで言われたことがありました。
目を閉じないで下さい。
また別の演劇のワークショップで言われたこともありました。
目を閉じていると、自分の世界に入り込んでしまうから。
そうではないから。

私たちが普段している体験を見ようとしても、見ようとする見方のように体験してはいないのなら
「一種肉眼を閉じること」「一種耳の穴を閉ざすこと」で浮かびあがってくる体験があるのかもしれませんな。

おさるのもんしんから

富山太佳夫『おサルの系譜学 歴史と人種』みすず書房、2009年
「路地と帝国のはざまに」より抜粋(←初出:角山榮・川北稔編『路地裏の大英帝国平凡社ライブラリー、2001年)

 ヴィクトリア時代の文学に登場するのは大抵等身大の人間たちである。その彼らを理解し、その時代の文学をよりよく読むために私が必要としていたのは、彼らが「日常生活のレベルで、何を食べ、何を身につけ、何を考えてきたのか」を教えてくれる歴史記述であった。……そして一九八二年に、『路地裏の大英帝国』に出会う。そして川北氏の「あとがき」を読む。あのときの驚きと安堵と、そして奇妙に気の抜けたような感覚を今でもよく覚えている。(22頁)

 言うまでもなく、「生活社会史」への方向転換はイギリス都市生活史研究会のみの着想ではなかっただろう。すでにあちこちで大きな期待を込めて社会史という言葉が口にされていたし、アナール学派の仕事の紹介も始まっていた。……

…そうした新しい研究をにらみながら振り返ってみると、しかしながら、『路地裏の大英帝国』に欠けていたものもよく見えてくる。もう一度川北氏の言葉に戻る。「何を食べ、何を身につけ、何を考えてきたのか」―冗談をこめて言うならば、これは関西人の発想かもしれない。食う、着る、思考するの三つが日常生活から浮上してくるのは。私は東京人ではないし、そんなものになりたいとも思わないが、私ならば、食べれば出す、着れば脱ぐ、考えれば狂うといった連想をしそうである。つまり、日常生活の中にひそんでいる衛生問題、セクシュアリティの問題、そして犯罪や狂気の問題の方向へ関心をひきずられてしまいそうだ。しかし、これにしても私の独創というにはほど遠い―ミシェル・フーコーの一連の仕事を歴史の場で具体化するための話題というにすぎないだろう。

 この本を読みながら、私は繰り返しフーコーの問題提起を考えた。この本の執筆者たちは彼の特異な歴史記述をどう評価したのだろうか、それとも無視したのだろうか。アナール学派と称される人々さえフーコーから眼を背けるようにしていた時代のことではあるし、E・P・トムソンののようにアルチュセール嫌いを公然と表明することがひとつの見識として通用したイギリス史のことだから、何の関心もなかったのかもしれない。要は資料実証主義であった。それもまたひとつの頑迷な理論的フィクションであるという反省はなかったかもしれない。……もちろん資料実証主義歴史学のひとつの、あくまでもひとつの、妥当な方法であることは否定できないから、「生活社会史」がそれを守ろうとするのは当然といえば当然である。しかし、その場合には、解明すべき対象を生産し搾取される労働者から消費する民衆に変えただけで、フーコーディスクール論、表象論が誘発したはずの歴史学の問い直しを素通りしてしまうことになるのではないか。……(23頁-24頁)

 『路地裏の大英帝国』に対する最大の不満は、そこから大英帝国が欠落しているということである。これが奇をてらった指摘でないことは、この一○何年かの歴史学と文学の研究を見ていれば容易に納得できるはずである。……
 問題ははっきりしている、イギリスの路地裏の生活様式と価値観がどのように植民地に持ち出され、植民地の物と人と文化がどのように路地裏にまで流れ込んで、互いに相手を規定しあったのかということである。…(25頁)

 ブロードサイド(瓦版)から、いわゆる文学まで。新聞、雑誌から、いわゆる図像まで。これらの研究者の仕事を通して、歴史学の相手にすべき資料なるものが異様なほどに拡散してくる。一対、資料とは何なのか。資料批判を言い、資料実証主義を云々する前に、一体資料とは何なのか。……『路地裏の大英帝国』を手にしたとき、私はその問題の前にいた。そして苛立った。なぜ歴史学者はここまでやすやすと<資料>の分析に埋没してしまうのか。この本についての私の思い出はつねにこの苛立ちとひとつになっている。(26頁-27頁)

※原文よりルビ省略(「あくまでも」に傍点あり)

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しばらくぶりです。梅雨入りしましたが、からり爽やか。

建物の裏手で不良青年のごとくタバコをふかしていたNさんにぼらぼらぼらと言葉にならぬ言葉を放ちながらよれよれと石段に腰をおろして見あげた、まだ五月の真夏日の影と光のコントラストのくっきりまぶしい青空。
咲きほころぶ笑顔がこころ鮮やかに美しい先生のお部屋の開けっぱなしのドアから通りがかりにずんずんお邪魔してするする話しはじめてながながおしゃべりしながら吹かれていた、クローバー咲く庭園から吹きぬける風。
一緒に座っていて黙ったまま注意ぶかく支えられたり黙ったまま黙らせた誰かに言葉がざわめいていたり、そんなこともありました。
ずるずる暮らしていますが、風に吹かれて呼吸します。
「この季節は患者さんにとっていちばん過ごしやすい季節」などと教えられたことがありますが、
そうではない季節、それだけではない今のこの季節が確実に浸みています。

先月末の診察で診療台から身を起こすのをそっと助けてくださった先生がふっと目もとで笑いながら教えてくださった通り、体力がついてきていました。意外な感じもしましたが、みっしりしています。
寝てばかりで体重が落ちていっていたのが増えて増えつづけている、電気毛布があると楽。
そういった食欲や睡眠などの問診のあいだ、先生が私の状態を描いていかれるのを見ていたり、
先生のまなざしを感知しながらわが身を確かめたりしているように思うのですが(とても治療的です)、
食べる寝るなどの生活の基本的なところから、そのひとの生活世界をつくりだす制度など見えてくるものがいろいろあるように思います。
ただの問診がモンキリのおさるさんでおしまいになるのは惜しいです。